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生き残りを賭けた生理学的な状態

「レジリエンスを育む」より、今日響いた箇所を。

(ここから引用)

生き残りをかけた生理学的状態は、夥しい量の身体資源を必要とする。そのため、理想的な恒常性を保つことができず、身体には重い負担がかかる。交感神経系が覚醒した状態が長い期間続くと、多くの酸素や栄養素が使われ、多量のストレス関連の化学物質が分泌される。交感神経系が優位になると、身体中に「今は命を懸けて戦っているのだ」という生理学的なメッセージが送られ、消化や免疫反応などが抑制される。長い年月健康に生きていくための機能は脇に追いやられ、今を生きのびるために身体的な資源が多量に使われる。

(引用ここまで)

幼少期から上記のような状態だったと思われます。高校生になる頃には負担が積もり積もって、外的な状況に関わらず何か切羽詰まったような気持ちになることがありました。そして、居眠りも多かった。他の理由に加えて(授業とは眠いものです)、慢性的に疲弊していたことが影響していたのかもしれません。

1年生の頃、寝坊して模試に遅刻してしまいました。普通の慌て方じゃなかった。この世の終わりみたいに、泣きながら学校に電話しました。男性の担任教師は落ち着いて「今から来れば大丈夫だから」と言ってくれましたが、私のただならぬ様子は知っていたと思います。2年生の時は、雨の日に傘も差さずに突っ走ってきたのを、これまた担任の先生が見ていて、なぜこの子は自分を痛めつける様なことをするのだろう、と思ったようです。濡れると寒いし風邪を引くかもしれませんよね。

本人もなぜ自分がそんなことをするのか分からないのです。謎の衝動に駆られ、恐怖に慄き、自分をケアしないで追い詰める、ようなことを大小さまざまにくり返していたようです。私の行動は人目についたことでしょう。でも、公立進学校の良いところは、人の行動を細かく詮索しないことです。それだけでだいぶ救われました。今と違ってメンタル面のサポートは期待できないのですが、言葉にできないストレスは、あれこれ詮索されるより「なんだか変わった子だなぁ。でもこんな子もいるよね」と距離をもって見守ってもらえたのは助かりました。

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