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凍り付いた幼い私が今も息づいている まずは彼女を温めるところから

今日から師走。月一のセラピーの日でした。4歳か5歳の私が見えました。ぼんやりと魂が抜けたような顔をしてたたずみ、心なしか体温も低そうです。ついでに言うと色も薄い気がしました。彼女は心ここにあらずという感じで棒立ちしているのです。なぜ?

意識がここにあると耐え難い辛い現実のなかで私が生きていたからのようです。詳しい方はわかると思いますが「解離」という状態です。生き残りのために身体は無意識にそういう状態になったのですね。凍り付いた幼児の私は、51歳の今もそのままの状態で私の中に生きていました。本で読んで知っているつもりでしたが、目の当たりにしたのは初めてでした(イメージですが)。

幼い私がたった一人で耐えていた日々は恐ろしいものでした。彼女はまだ危機が去ったことを知りません。今日は極めて控えめに、冷え切った彼女を温めるところから。無理に元気づけたり励ますのは逆効果です。焦らずほんの少しずつ。その方が揺り戻しなしに統合が進むということです。実際そうなっています。解離も人体の精緻な仕組み。それがあったから私は生き延びることができました。ありがたいことです。


母校の図書館



さて、先日大学の図書館で「トラウマによる解離からの回復」を読みました。あの状態で大学生をしていたら筆舌に尽くしがたい苦しみだったと、今なら分かります。何しろ大学が大学ですからね・・・健康体でも周りが賢い人ばかりなのは相当ショックですが、私は幼いころからのトラウマを抱える身でどれほど苦悶しただろうかと思います。回復の途上で過去の自分をこのような形で労うのはとても嬉しいことですね。そしてそれが可能なのは、過去の私がずたずたになりながら、残るエネルギーを注いで目一杯生きたからです。

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普段はオンラインで数学を教える家庭教師です「風が吹けば飛ぶ先生」
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