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Mr.Children miss you〈問題文編〉

Mr.Children2年10ヶ月ぶりニューアルバム
『miss you』皆様、ご視聴されましたでしょうか?
昨年10月にCD形態で発売され翌月からは
ストリーミングも開始し全国ツアーもいよいよ残す事、追加公演で決まった奄美公演1つになりました。

今作は収録曲の全てが完全新作、
ノンタイアップというMr.Children史上初のアルバムリリースに(勿論、1stは除き)なっている今作のテーマは「Mr.Children史上最も優しい驚き」だ。

新作『MISS YOU』の個人的な第一印象は
「吹っ切れたアルバムだなぁ」ということ。
それは「半世紀へ」狙いを定めて思いっきり舵を切れたバンドだからだ。
賛否両論いろんなコメントをSNSで見かけましたが、確かに今これが出来るのはMr.Childrenの面々しかいない。ロックバンドとしての立ち位置・今までのキャリアを持ち合わせて辿り着いた境地なのだ。

凄いアーティストが次から次へと色んな形態で出てくる昨今の群雄割拠をMr.Childrenはどう捉えているのか?僕はこのアルバムが答えではなく途中式の部分だと勝手に解釈している。

今までの活動を点で追った時に、恐らく『深海』が発売された頃だって、
「あれ?Mr.Childrenどうしたんだろう?」と
思うファンは多かっただろうし『Q』や『REFLECTION』が出た頃も同じだろう。
このあとMr.Childrenはどう進んでいくのか我々が想像した遥か上を塗り替えてくるバンドがMr.Childrenであって、彼らの歴史を線で準えるとあの「経験」「過去」があったからこそ「現在」があるように思える。

前作『SOUNDTRACKS』のテーマが「死」
なのであれば今作のテーマは「優しさ」になる。
メンバーも50歳を過ぎ、枯れていく様を体現したいと桜井さんが語る様にどこか前々作の『重力と呼吸』
あたりから散りばめられるように「永遠」の難しさを唱え、シンガーとしての、バンドとしての、
人間としての生き様を見せてくれている。

オープニングを飾る『I MISS YOU』で歌っているように時に桜井さんはすごく冷めた目線で自分を客観視しているように思える。コロナ禍で何もできないミュージシャンである事を覚悟はしていたがいざ直面すると‥と語ったように持て余すエネルギーの矛先に苦慮したであろう。

固定概念を崩しにかかってきたのが今作の桜井和寿なのだ。夢が叶ってやりたい仕事なはずなのに、
大人になれば「俺何でこれやってるんだろう?」と
思う瞬間も増える。迷いや葛藤は増え、予定調和に
桜井さんにとっての歌を歌う仕事がコロナ禍においては社会の歯車になっていない事を憂いていた。
それを覚悟の上でこの道を選んだと仰っています。
ただ、その反面「僕には音楽しか無かった」とも
発言しており、迷って悩んだりしても音楽とは切っても切れない糸で結ばれているのだ。

「Fifty's map ~おとなの地図」
タイトルは尾崎豊さんの「十七歳の地図」から付けられており歌詞の中にも尾崎豊作品がモチーフになっているフレーズが散りばめられている。尾崎豊さんはMr.Childrenがデビューする数週間前に亡くなっています。彼に影響を受けたアーティストは多く存在し没後30年を過ぎても尚、人気は健在だ。トリビュートアルバムに参加したりMCで名前が挙がるなどMr.Childrenの面々においても尾崎豊がやはり偉大な存在であること証明している。

Mr.Childrenファンなら共感してくれるであろう大好きなハチロクビートだ。それにしてもこのMV‥憎いなぁ笑  『くるみ』の続編、いやこれからも歩んでいく進化形になっている。この景色を観れるのはMr.Childrenの4人しか在ない。過去を振り返る事をしつつ、未来を見据えて一歩ずつ踏み出す様が取れる。
タイトルこそFifty's(50代)になっているが、
恐らくどの世代にも響く楽曲だ。紆余曲折経てきた同世代はライバルであり戦友。戦う相手や場所が変わっても大切な仲間だ。

「青いリンゴ」
この瑞々しさ初々しさは初期の頃のサウンドを
想起させると同時に結成30年以上音を奏でたモンスターバンドとしての円熟味を感じる。特にリズム隊の
懐かしさをもたらしつつ現代の要素も補うテクニックは努力と向上心の賜物だ。ナカケーさんが弾くベースは音にその人の性格が現れている。そして本当にJenさんの叩くドラムはバリエーションがあって飽きないなと感心してしまう。

林檎に準えて、林檎の熟し具合でいえばMr.Childrenは今どこにいるのだろうか?見渡せば満員のスタジアムをいつやっても埋められる彼らの全盛期はいつだったのだろうか?美味しく食べられる期間の感じ方は人によって異なると思うが僕はお世辞抜きで新作が出る度に今が全盛期だと思っている。その都度記録更新してくるバンドだから同じ様に成長し続けたいと思えるのだ。

「Are you sleeping well without me?」
桜井和寿のイ行の発音に新たな発見と進化を感じる。
歌を上手く歌う事に真正面から向き合ったここ数年から衰えるどころか右肩上がりに幅が広がっていますが
この負けず嫌いさとプロフェッショナルな部分が
第一線で走り続けられる根本を作り上げてる。

これまでもこういった哀愁感漂う大人な曲は
ありましたが年齢を重ね更に深みが増しています。
そしてそこに加わるSimon Haleのピアノが
Mr.Childrenに新しい風を吹かせてくれています。

『私がいなくても眠れていますか?』
直訳すると恐らくこうなるのだが、是非駅前の英語教室に通っていたと言われる桜井さんに答え合わせして欲しいものです笑

「LOST」
コロナ禍が僕らに与えた時間は決してマイナスなものばっかりではなかった気になれる。今作は割と問題提起したうえで解決せずに聴き手に委ねる傾向にある。
答えを教えてくれるのも優しさだが、その答えは無数にある。日常生活で例えるなら壁にぶつかって解決しない事の方が多いであろう。そんな中繰り返される
“また今日も 立ち尽くしている”
このフレーズがある事で自分だけが立ち止まっていた訳でないことに気付かせて貰える。

「アート=神の見えざる手」
自己主張の激しい曲は割合としては少ないがために巷じゃ問題作!?と話題になっていたが、 
長きに渡ってのファンではあればそんなに目を丸くするほどではないのかなと思う。
だってこれが出来るのが桜井和寿の強み 
Mr.Childrenの強みでしょ?
今、鳴らしたい音、発したい言葉。
その全てをMr.Childrenに委ねていたいのだ。
かつて、ヒットチャートを席巻していた真っ只中にドロップキックをかますバンドがMr.Childrenですからね?笑

コンプライアンス全盛の現代で、
「え?これって大丈夫なの?」ぐらいのヒヤヒヤ感やワクワク感が一瞬この令和の時代に感じれる作品になっている。

「雨の日のパレード」
25周年を祝ったツアー『Thanksgiving25』の演目の中にJenがボーカルを務めた『思春期の夏 ~君との恋が今も牧場に~』がある。リーゼント姿のJenのズラが取れて会場に笑いがうまれた後、披露した曲は『抱きしめたい』や『365日』といったラブソングだった。強いインパクトを残した後の曲でやりにくくないのかな?といった疑問は桜井さんのボーカリストとしてのポテンシャルで一掃される。

また、どっちが主旋律なのか副旋律なのか?
最近ではよく見られる技法で曲は進む。
張った声ではなくファルセットでハモる。
こういった技法でいつまでも我々を魅了するあたりが
音楽を愛する天才と呼ばれる所以なのです。

「Party is over」
入り口から「バーボンソーダ」→「多分そうだ」→「Party is over」→「キャリーオーバー」と 
得意の韻踏み連発しています。

そして前述で述べたのように今作は問題提起したうえで回答の部分は明確になってない事が多い。
いつもなら救いの手を差し伸べてくれそうなところで
前向きな1行がありつつも解決まではしない。
でもこれが非常に人間らしさに包まれていて
音楽が生活に寄り添っている事の象徴である気がする。人生って模索しながら進む、答えを求めて進む。
受け取り方・向かい合い方は人それぞれだからだ。

音の構成がギターと歌というシンプルなものだからこそより文学的に言葉がより全面に聴こえてくる引き算の美学が手にとってわかる作品。

「We have no time」 
Mr.Childrenにとっては珍しめであり面白味のある打ち込みを中心にサックスが前面に出ている楽曲。
テナー、バリトンと共にデビュー当時からの盟友である山本拓夫さんが弾かれております。

最近の歌の上手いシンガーを目の前に太刀打ちできないと思い始めてボイトレに通い出したという桜井さん。B'zの稲葉さんとの対談の際にもお話していたように現代の歌の上手いシンガーを羅列していましたが
同時に中島みゆきさん、吉田拓郎さんみたいに言葉が伝わる歌い回しにも憧れると語っていましたが、
桜井さんにもシンガー桜井和寿にしかできない
母音・子音の発音だったり早回しだったり、我々素人にはカラオケで歌う事すら阻まれるレベルの高さを保持している。桜井さんが歌の中で「誰か」をイメージして「誰か」に似せて寄せた楽曲もまた楽しくて、
たまにはこんなぶっきらぼうな歌い方も癖になる。

「ケモノミチ」
ストリングス隊の楽曲に対するアプローチの仕方が抜群に心地良い。この距離感はロックバンドMr.Childrenを最大限に活かすものだ。
壮大なストリングスが想起させる荒々しさと脆さは
まさに現代を象徴していて、色んなものと敵対して過ごす日々やSNSと生きる現代をどこか漂わせている。
アルバム発売が決まった際に1番最初に世に届いた曲だがその際は弾き語りだったため、完成形を聴いて痺れた方は多いだろう。そしてここでも桜井節炸裂。
「送ろう」→「ロックンロール」→「残るように」
そして最終的には「目論む」に派生していく。
曲が先にあって、仮歌はデタラメ英語で歌ってそれに近い言葉をはめて行き物語は後から結ぶ事が多いと語った桜井さん。この曲がどういった過程で作られたかあまり語られていないので分からないが、テーマを決めて言葉遊びするだけでも難しいのに、音がそう聴こえたから割り振られる言葉で遊んでる桜井さんは本当に雲の上の人だと思う。

「黄昏と積み木」
アルバムは終盤戦、ここら辺からMr.Childrenのパブリックイメージ通りな曲調が続く。
ついに「LINE」という単語が出てくるあたり
桜井さんの日常を捉える歌詞もアップデートされている。この普遍的な「日常」のフォーカスの当て方や切り取り方が非常に上手。と同時に輪郭部分が鮮やかであり選ぶワードチョイスも絶妙。

「幸せ」という答えのない事柄の説明を四季で
ものの見事この4行で完成させる感性は何処で磨かれたのだろうか?詩人、桜井和寿の正体が益々気になります。そんな桜井さんに寄り添う形で田原さんの奏でるギターが心地良い。音作りも綺麗で弾いてる姿、顔が自然と浮かんで来て微笑ましい。
上手い、下手。良い、悪いじゃなくて。
この4人が鳴らす音がMr.Childrenの音なんだよね。

「deja-vu」
昨今の音楽の掴みどころで迷わず着手するのは
イントロの短さ(所謂歌始まりが増えた)や
全体的な曲の短さであろう。
イントロがほぼなく始まる「黄昏と積み木」と同様に 3分を切る本楽曲を初め、今作のアルバムは全体を通して現代音楽への歩み寄りとも捉えられるであろう。
今作はアルバム収録曲に5分を越えた楽曲が収録されなかった初のアルバムなのだ。
目まぐるしく発展するのは音楽業界も同じであり、
そこに対して高くセンサーを張り巡らせている証拠がここにある。

「おはよう」

うっすらと終わりをイメージする事で完成した
前作に収録され紅白歌合戦でも披露された
『Documentary film』そこから早、2年。
『おはよう』という曲が出来上がる。
「レシート」や「缶ビール」といったワードから
普段の生活の様子や関係性が汲み取れるほどありふれた毎日の話だ。タイトルにもある『おはよう』だが、
朝起きるという行動は何より今を生きている事の象徴である。そうだ彼らは半世紀へと動き出したのだ。
終わりがある事を客観視し把握した事で何気ない日常に感謝を持って今を噛み締めて生きるんだ。
アルバム最後の曲で、生きる上で1番大事で忘れがちな原点に戻ってきて幕を閉じます。

〈終わりに〉 
全編を通して、コンパクトにシンプルにストレートに音を鳴らすという事が徹底されたアルバムは繰り返しになるがMr.Childrenにしか響かせられない、
つくりになっている。プレイヤーとしての4人のスキルが益々高まってきた事の表れであり、自信でもあると感じられる。まだまだ伸び代に包まれたバンドにいつまでも着いていく覚悟・準備は皆さん整っていますよね?一緒に成長し続けられる様に、置かれた場所で咲く花でいる様に日々一歩ずつ進んで行きましょう。

〈予告編〉
昨年の8月に生のMr.Childrenに会える事が決まってからずっと待ち遠しくキリンくらい首を長くして待っていました。年があけてからずっと気にかけていたのは体調の事だけです。インフルエンザにならないか?コロナにならないか?その事で頭の中持ちきりでした。僕自身は無事に今日という日を迎えられました。 
でも、そこでふと気付くのはメンバー、スタッフの方々の意識の高さです。メンバー、スタッフはもっと長い期間色んな事に注意を払って全国各地、僕らに音を紡いで会いに来てくれた。彼らが鳴らす1つ1つの音を一瞬たりとも気を抜かずに浴びれたらと思います。

それでは行ってきます。

※あくまでも個人的な感想に過ぎず、間違いや誤字に関しては発覚した場合お声がけください。

話中に出てくる歌詞、作品は全て、桜井和寿名義Mr.Children名義のものになっております。

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