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外からの影響を受ける「あり方」には、「主体性」を繋げよう

「あり方」が持つパワーとは?という記事の中で、

外からどんなに強い影響を受けようと、その中で、わずかであったとしても「あり方の主体性」は持ち続けられます。

と書きました。
この一文を書いたときに、浮かんだのは「アナーキック・エンパシー」という言葉です。
「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」という本に、「アナーキック」と「エンパシー」について、

繋げなくてはならないものなのではないか。
アナーキー(あらゆる支配への拒否)という軸をしっかりとぶち込まなければ、エンパシーは知らぬ間に毒性のあるものに変わってしまうかもしれない

と書かれています。
「あり方の主体性」は持ち続けられる、と書きましたが、

外からの影響を受ける「あり方」には、「主体性」をぶち込まなければならない

と言えるのかもしれません。

*

先日、「エリザベート1878」という映画を観ました。

このビジュアル最高です

ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われたオーストリア皇妃エリザベート。1877年のクリスマス・イヴに40歳の誕生日を迎えた彼女は、コルセットをきつく締め、世間のイメージを維持するために奮闘するも、厳格で形式的な公務にますます窮屈さを覚えていく。人生に対する情熱や知識への渇望、若き日々のような刺激を求めて、イングランドやバイエルンを旅し、かつての恋人や古い友人を訪ねる中、誇張された自身のイメージに反抗し、プライドを取り戻すために思いついたある計画とは——。

公式サイトより

主人公・エリザベートの

しがみつくものが何もないの。
自分だけ。

というセリフが印象に残りました。
これは、
「【自分】という存在をしがみつけるものとして持てている」
というよりは、
「しがみつけるものって、自分だけなんだ」
と、声にしてみたことで気づいたシーンのように見えました。

世間のイメージ。
厳格で形式的な公務。
若さに見出される美しさ。
どれにもしがみつけないし、しがみつきたいと思うようなものでもない。
しがみつけるものとして残るのは、自分。
自分の外側にどんなに強いイメージやプレッシャーがあったとしても、「人生に対する情熱」「知識への渇望」を忘れることができなかったエリザベート。
その姿に、

外からどんなに強い影響を受けようと、「あり方の主体性」を持ち続ける

姿勢を感じました。

「ありたい」に縛られる必要もないし、「ありたい」を見失うときもあるかもしれません。
でも、「あり方」は自分で持っていられるのです。
「あり方」とは、「その状況で、自分がどうあるか」。
もっと言えば、「その状況で、ただそこにある自分」を自覚すること。
それは、「ありたい自分」じゃないときもあるかもしれません。
外側の世界が変わり、廻り、強い影響が自分へ押し寄せる。
どれほどのことが起ころうと、どれほどの影響があろうと、そこで「あり方」を手放さない。
その姿勢が自由、そして外側の世界と楽しくまざることへと繋がっているのだと思います。

外側からどれほど強く影響を受けようとも、「あり方の主体性」を持ち続けたエリザベート。
僕たちもきっと、「あり方の主体性」を持ち続けられます。

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