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頂点と底辺?〜誰かの仕事は誰かを支えている〜

職業選択の自由。

それは憲法で保障されている。

我々は恵まれた国に育ったと
つくづく思う。

もちろん中には、長年続いている家業の
跡取りとして宿命づけられている人も
いるかもしれない。

ただほとんど多数の人は、
自分で生計をたてていくための
職業選択をする。

その選択のプロセスや結果は、
他人がとやかく言う話ではない。

そんな自分が「当たり前」だと思って
いることとギャップを感じる報道を目にした。

「底辺の仕事ランキング」というもの。

それはある新卒の就活向けのサイトに
掲載されたものであるらしい。
記事には合わせてこんなことも
書かれていたそうだ。

「何を底辺職だと思うのかは人それぞれ」

「一般的に底辺職と呼ばれている仕事は、社会を下から支えている仕事です。そのような方がいるからこそ、今の自分があるのだということには気づきましょう」

どんな具体的な職業がとりあげられて
いたかはここでは書くつもりはない。

ショックだったのは、
職業をランクづけして、明らかに
そこに優劣をつけることを助長していること
だ。

社会は幅広く人それぞれが
役割分担をしている。
職業はまさに最たる例であろう。

なんでも得意•不得意もある。

業種や職種によって待遇や
収入に大きな差があることも
事実である。

ただスーパーエリートの外資系のコンサルも、
キャリア官僚も、全ての職業で
ハイパフォーマンスが発揮できるわけではない
はずだ。

みんな意識的であれ、無意識的であれ
自分の適正から判断している。

たとえトレーニングを重ねなければ
ならない仕事でも、
「これならできる」
「これならできるかもしれない」

そのように職業は決まっている。
生まれながらの境遇で、
選択肢が多くない人もいるだろう。

ただこの世に必要ない仕事なんてない。

誰かの仕事は誰かの役に立っている。
どっかの缶コーヒーのCMでそんな
類のキャッチコピーだ。
言い得ている。

給料や待遇がビジネスモデル的に
まだまだ恵まれない職業でも、
社会的な使命を持って日々プロとして
働いている人はたくさんいる。

さも選んではいけない職業
かのような誘導にすごく残念な気持ちになる。

職業に頂点も底辺もない。

仕事の内容に対してそれ相応の報酬や
待遇を得られているかは別の問題だろう。

誰かの仕事は必ず誰かの役に立っている。
誰かを支えている。
それを「底辺」と位置づける
ことにどんな意味があるのか。

では、そうラベリングされた仕事は
価値がないと論理的に説明できる人は
いない。

たださもそんな価値観を助長するコンテンツを
大人が発信してどうするのだろうか。

この記事でもし傷ついた人が
いるならば、どうかどうか
プロとして胸を張ってほしいと
心の底から願っている。

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