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ノミのサーカス

昔中国の儒教者の誰だったかがノミと箱との関係について語ったそうだ。でもそれは、私が6歳ぐらいの時分に聞いた話なので、すごく曖昧である。

しかし、ずっとノミと箱について忘れられないでいる。

ノミは、箱に入れるとその箱の高さまでしか跳べなくなるという。だが、獣に寄生しているノミはそのノミよりもはるかに高く跳べるそうだ。

要するに、自分でここまでだと限界を決めてしまうと、もうそれ以上は伸びなくなるそうだ。

だが、その限界の箱は取っ払うことができると私は考える。

ちょっとすっとんきょうな思考の持ち主であるが、坂口恭平さんという、建築や作家、歌手に画家等なんでもされている方がいる。でも、特に資格はないし、プロという肩書きがある訳でもない。ホームレスの生活から衣食住の知恵を学び、どうやったらお金がなくても生きていけるか、ということも提案したり、東日本大震災の原発事故を受け、今の日本は無政府状態だと、新政府を立ち上げ内閣総理大臣に就任している。また、自らも躁鬱病を患っているにも関わらず、自殺したい人のための相談窓口「いのっちの電話」を作り、自らの携帯番号を公表し相談にのっている。

ここに書ききれないくらいの方で、明治維新の志士かと疑ってしまうくらいだ。

私が坂口恭平さんについて知ったのは「0円ハウス」だったが、特に度肝を抜かれたのが、「独立国家のつくりかた」だ。

今まである角度からしか物事を見ていなかったものが、ひっくり返されてしまい、箱から跳び出てみたら、全然違う風景が広がっていた、という感じだった。この本は経済やお金のあり方についても新たな見方を提示している。

お金ももちろん必要だが、お金はモノと交換するための道具に過ぎない。よって、交換できるような国の状態でなければ、それは無能となる。それよりも、自分でお金を産み出せるような技術や、緊急事態のときに、自分で建て直せる技術を身に付けておくのが何よりも重要だと教わった。

私はもともと土木やで、ものづくりが好きだ。坂口恭平さんの思考に触れると、ものづくりの欲求が掻き立てられまくりで、危険な状態になる。どっぷり浸かり、しばらく離れを繰り返している。

やっぱりまた少しだけ戻ってしまうのは、新たな思考回路を切り開いてもらえるところにあると思う。

今回、読んだ本は、「自分の薬をつくる」だ。精神的な病の人向けの本と思いきや決してそうではない。

あらゆる人の思い癖について指摘し、新たな方面への道を開く書だった。

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ワークショップ形式で、自称医者に扮した坂口さんが様々な人の悩みを解決する、という本である。この本は、今の時期だからこそ読む価値があるように感じる。結局のところ、全ての悩みは人と比べたり、こうでなければならない、という箱の中に当てはめてしまい、その箱から出られずにいるということだと思う。

坂口さんが度々指摘していたのが、安易にネットで調べたことで、人と比べ、そして病だったり、性格だったりを記載されているとおりの枠に当てはめることを止めることだった。

私自身のことでいうと、例えばサイコパスという言葉がやたら気になる。サイコパスは、何だかあまりいい言葉の響きがしない。そこで、ネットで調べ、サイコパスに当てはまる項目をチェックし、結局良く分からず、私はサイコパスなのか、そうでないのか悩んだりする。でも、それはそもそも誤っている。

例えば、発達障害とか、躁鬱病と言われているものも、多分概ねこんな感じだろうという、統計的なものによって箱付けされているのかもしれない。誰にだって、元気の日もあれば、そうでない日もあるし、極端に苦手でいくらやっても全くできないことだってある。

躁鬱病であると診断された坂口さんは、こう語る。

私は自分が病気というよりも、少しだけ特徴のある体であるというくらいに思えるようになっていきました。かつ、自由に動かしてあげたら、いい動きをするんじゃないかと思えるようにもなっていきました。病気というマイナスなものを薬で戻すってよりも、快活に動いていた自分が動けなくなっている時に、うまく声をかけてより動けるようにしてあげるという感じです。元に戻すのではなく、また別のいい道を見つけてそこを歩きはじめるみたいな。

そうすると、既成の箱に自らいつまでも捕らわれている必要はないんだ、と思う。

学校は、成績で他人と比較される。でも、成績優秀な子が、学業以外もできるか、というと必ずしもそんなことはない。

恩師と再会して気付くことは、成績のよい子ではなくて、個性の強い子のことしか記憶に残っていない。例えば、ピアノが上手いとか、ジャニーズ狂の子とか。先生は教壇上ではマニュアルどおり成績順に生徒を並べていたものの、点数をつけれない何かをずっと探っていたことを先生の記憶が物語っていたと思う。

好きなことや気持ちが向かっていくものを、他人と比較せず、伸ばしていけばいいのではないだろうか。そして、お金になるならないは抜きにして、やりたいことをどんどんやってみたらいいと思う。

農業学校に通っていたとき、全員に一区画ずつ自由に作ってよい畑が与えられていた。おんなじとこで育てているはずなのに、人それぞれ得意な野菜が違う。私は、白菜、キャベツ、大根、カブは見事なのに、何故かニンジンが育たなかった。理由は簡単だった。好きな野菜は育つが、嫌いな野菜は育たない。嫌いだと思う気持ちが野菜にも箱を作ってしまい、これから実がなるというときに育たなくなっていたのだ。

noteも結構曲者で、最初は大切な人たちに伝言や自分のことをのこすとか、今までの経験を言葉にするとか、思ってやっていても、何だかハートマークが多い方がいいのか、とか、他の方の文章の質とかが気になってくると、初心がぶれてしまい迷走してしまう。だから私は、徒然草ではないけれど、焦ったりせずに、心に浮かんだことをゆっくり自分のペースでやりたいように綴っていこうと思う。



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