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Love Letter

最近、テレビが観れない。

電波障害なのか、時間帯によってなぜか真っ暗になって、観れない。テレビが好きな訳ではないが、秋は夜が長いし、何だか手持ちぶさたになるので、テレビをつけていたくなる。それで、仕方がないから、図書館で借りたDVDを観ることにする。

葉が枯れ落ちる季節だからだろうか、秋から冬にかけて大切な人たちを失ったからだろうか、今観たくなるのは、自身の過去に向かわせてくれる映画である。

最近思い出して、無性に観たくなったDVDがある。赴任先であったS県のG市の図書館で借りたDVDに、「Love Letter」という映画があった。残念ながら、今住んでいるところにはない。

本作は、岩井俊二監督の作品で、中山美穂さんが主演されていて、中山美穂さんの少女時代を酒井美紀さんが演じられていた。

内容は、恋人を事故で失った婚約者の女性と、その恋人が中学時代に好きだった、恋人と同姓同名の女性とが文通をとおして、一人は恋人の死に、もう一人は過去の自分と亡くなった同級生に向き合う話である。

私がこの作品を何だか見たくなるのは、私も小学校3年生から4年生にかけて、同じクラスになった男の子に、同姓(読みが同じで漢字は違ってはいたが)の子がいてお互いに多分気になってはいたものの、その子と何かしたいとかそんなことは全く考えもしないし、穢れも知らない、無垢だった時を思い出すからだと思う。

その子(以下M君)は、小学校4年生の秋に引っ越していってしまい、それから全く会っていない。だから、M君の記憶は、不確かなものの、絵に描いたような太陽のような少年で、良いことしか思い出せない、誰にも汚されることのないものとして、温かく胸に残っている。何か簡単に奪われることのない、同じものや共通点を持っていることは、人と人とを結びつける重要な要素だと思う。

M君とのお別れの日には、一人ずつ手作りのものを渡すことになっていた。朝の会で、M君にそれぞれ餞別を渡した。私は、どうやったら気持ち(どういう気持ちかも当時は良く分かっていなかったが)が伝わるのか考えた末、カードに絵を描いた。どんな絵だったかも記憶にもないが、時間をかけて丁寧に描いた。そうしたら、給食の時間に、私にカードを見たことをそっと伝えに来てくれたので、私は伝わったことを悟り、M君とのお別れに心残りみたいなものは全くない。


酒井美紀さん演じる主人公の少女時代(中学時代)も、同姓同名の少年を同じ図書委員だからなのもあり、意識はしているものの恋には全く至らず、無垢そのものである。気を引きたくて意地悪する少年の恋心にすら、少女は気づかない。だが、彼らの関係も少年が引っ越すことで終わりとなる。少年は、父親の死で学校を休んでいたため、引っ越すことを知らなかった少女の自宅に行き、図書館へ本の返却をするよう少女に託す。その本に少年は、最後のメッセージを残す。少女はそれを見ないまま本を返却し、少年の気持ちは封印されてしまう。

それからも少年はずっと少女への想いを引きずったまま大人になったことが想像できるが、少女はその少年の想いに全く気づかず少年とのことも思い出すこともないまま大人になった。それを、見出だしたのが、通っていた中学校の図書委員をやっている女学生たちだった。彼女らは、少年と少女の共通点である名前書かれた図書カード(この学校の図書室では、本の貸出しにあたって、各本につけた図書カードに氏名を記載するようになっていた)がたくさんの本に残されていたことに気付き、そこから新たな物語りを紡いでいる。そして、彼女らは、同じ中学校であった主人公の女性の下に、しばらくの時を経て自宅にかつて少年が託した本と同じものを届ける。その本が、プルーストの「失われた時を求めて」の第7編「見出だされた時」であった。その本の図書カードに描かれた少女の頃の自分の似顔絵により、主人公の女性は少年が恋心を抱いていたことを少年と少女が共有していない時を経てようやく見い出した。それは、その女性にとって新たな光となって生涯心に宿るような気がしてならない。

Love Letterの少年は、少女と共有していた図書館での時間を、自分たちがここにいた証のように図書カードに名前を刻むことで恋心を残した。それが、直接少女に伝わることがなくとも、後世に伝わっている。それと同時に、関わると思ってもいなかった第三者をとおしてかつての少年の想いは、主人公の女性に伝わっている。当の少年は、本を渡した時に伝わって欲しかったのであろう。実際、この映画のように、伝えたい想いは簡単に伝わるものではない。

人は経験がないと、物事が理解できないことが往々にしてある。例えば、全く心に響かなかった中学校や高校で習った小説や絵画等が、時を経てようやく理解でき、心に光が灯ることがあるし、分からなかった人の言動が後になってようやく理解できることもある。

だから、自分自身の心に宿った温かな想いや愛情は、何らかの形にしてきちんと残しておいた方が良いと思う。

媒体や形式や、手段は相手への思いやりのある人の迷惑にならないものであれば何でもいいと思う。伝える相手は家族、恋人、友達、隣人、誰でも良い。

すぐ伝わるかも知れないし、何年もかかって紐解かれるかもしれない。もうこの世にはいない小説家、詩人、俳人、俳優、映画監督、画家、その他多くの芸術家の人々が遺されることも知らず遺ったものが、未来の誰かに届いてその人生を変えたことを、それを作った当の本人は知らない。私は、宛てられた本人でなくても、過去の作品は現在の誰かへのLove Letterのように思う。

そう考えると、今私たちが生きて、何かを創っていくということは、未来のまだ知らぬ誰かへのLove Letterなんだと思う。創るものが、目に見えるものであろうと、なかろうと。伝え方が、たとえ拙いものだとしても。

いつか、プルーストの「失われた時を求めて」を読んでみたいと思う。


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