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なるようにしかならない

病気であっても、仕事が大変でも、災害に遭っても、そこをなんてことないさ、って感じで楽しんで飄々と生きるのは限りなく不可能に近い。

どんなに綺麗事が並べられたものであっても、ストレスの全く感じない人間関係なんて不可能に近いくらいない。

でも、それを、一つ一つ分析していきつつ、ユーモアに変えていくことはできるんだ、と教えてくれる本に出会った。

それは、ハルノ 宵子さんの「猫だましい」だ。

ハルノ宵子さんとは、思想家の吉本隆明さんの長女で、吉本ばななさんのお姉さんで、漫画家である。

吉本ばななさんのエッセイでは、ホラー映画好きで、「ジョジョの奇妙な冒険」好きのオタクの風変わりなお姉さんという印象がある。

そもそも、吉本さん宅は、皆とても風変わりだと思う。

でも、ふつう、って何なんだろうか?

うちにとってのふつうは、他の家族にとっては異常かもしれない。そうすると、ふつうの家族って恐らくないのだろうと思う。

どこの家にも、秘密やルールがある。

本書では、ハルノ宵子さんが、ご両親の介護、ご自身のご病気や、自身が飼われている猫や野良猫との関わりをとおして経験されたことのエッセイである。

テーマはとても重いのに、ちょくちょく、ブーッツと吹き出してしまうくらい面白い。

闘病されている本は、とても心に響くし、読むべきだとは思う。ただ、心が沈んでいるときに読んでしまうと、しばらく立ち直れないような感じがする。

例えば、吉本ばななさんの「Q健康って?」という、ばななさんのお友達の女性の癌の闘病を綴ったものがあるが、とても可哀想で読んでられなくなり、途中で止めてしまった。他は、遠藤周作さんの奥さんである遠藤順子さんが、旦那さんの闘病を綴られた「夫の宿題」を読んだときは、受験生で、すごく感動したものの、どうせ私はすぐ死ぬんよ、とマイナス思考が頂点に達したこともあり、自身の経験が伴わないと、なかなか読みこなすのが厳しい。

ハルノ宵子さんの場合は、乳癌も大腸癌も、人工股関節になっても、身内の様々な病気を経験した知識を活かし、全く落ち込まず、客観的に病気を見据えてどういう医療を受けるか自身で選択する。そして、病気の原因を探り、その原因から引き起こされた病気の症状について淡々と考察し、どういう状況か判断していくのが脱帽してしまうくらい男気がある。

一方、身体に悪いのは分かっていても酒を飲もうとすることや、家に鍵がなくて、飼い猫と野良猫が自由にいききすることによる猫SECOMに頼ってたり、身の回りの世話は吉本ばななさんの元カレに頼ってたりとぶっ飛んだエピソードも多い。

高齢になって、ふいにこの世を去る人に、引退する人、そしてハルノ宵子さんも高齢者になりつつあることによる身体機能の衰えに、どれをとってもいずれ我が身にも降りかかることで、他人事ではないと思って読んだ。

そうすると、ハルノ宵子さんみたいに、駆け引きをしながら、好きなことを徹底的に追求するのも、ユーモアのある視点で周囲を観察するのも一つの生き方としてとても面白いと感じる。

ハルノ宵子さんは、以下のように語る。

あの相模原の、障害者施設殺傷事件の犯人などには、「キミは、生まれてただそこに存在することの気高さ、美しさを知らずに終わるんだね。哀れなヤツだね~」と、言ってやりたいところだが、意外に今の世の中、そういうヤツが大多数ーとまでは言わないまでも、けっこうな割合を占めていることに気付いて、ゲンナリする。

ハルノ宵子さんは、生きる価値があるから生きる、のではなく、生きることそのものにがむしゃらになっているスゴい方だと思う。

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