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【選択制夫婦別姓などから考える】価値観を“主張”するのか“押し付ける”のか。254日目


◇価値観や考えの“主張”と“押し付け”



多様性が増してきた現代。


本当に様々な幅が広がり、生きやすくなった方が多いのではないかと思います。


・LGBTQの認知度の向上
・通信制高校の拡充と入学者の増加
・職業選択における働き方や転職の捉え方の拡充


など、10年前では考えられなかったことが、ここ最近では当たり前となりつつありますよね。


話題の総裁選でも、同性婚や、夫婦別姓を取り上げる方が多いですよね。


それほど、現代では多様性が訴えられ、かつ、新たな権利や考え方を主張される方が目立つようにもなってきました。


様々なことや考え方が世の中にあることは個人的には面白いな。と思うのですが、その反面、主張と押し付けを見誤ってしまっている方が非常に多いなとも感じます。


なんでそこまで他人の考えに興味があるのか。不思議になるくらい。



主張は、自分の考えや意見を訴えたり述べたりすることですよね。


例えば、「私はフルーツが苦手だから、食事で出されると少ししんどいので、私にはフルーツを出さないでいただけると助かります。」など、あくまで自分の考えの訴えですよね。


押し付けは、自分の価値観や考えを他人に力づくでもわからせようとする事ですね。


「私はフルーツが苦手なんです。そもそも、あんな糖質が高いものを食べるのはおかしいですよね?あなたもフルーツ食べすぎだから控えたほうが良いよ。ほら、プロテイン飲んで!」といったように、相手の行動や考えを自分と同じにしようとしたり、時には批判をすることにもなります。



◇夫婦別姓問題から考えてみる



夫婦別姓についても、様々な考えや価値観があると思います。


・結婚したからには一緒の名字が良いな
・一緒の名字の方が子どもができた時に楽
・別の名字にすると距離感を感じる、、


等の夫婦で同じ名字を望む声もあれば、


・名字が変わると仕事や手続きなどが大変
・別に結婚=同じ名字でなくても良い
・自分の名字に誇りを持っているから変えたくない


など、夫婦別姓を望む意見もありますよね。


これらはどれもそれぞれの価値観や意見として出てきても何もおかしくは無いですし、寧ろ、自分の意見を持つことは非常に重要だと私は思います。


ただ、危険な流れとして、どちらの意見が正しいのか。という論争にはなるべきではないと思います。


心理学的にも人間にはそれぞれの正義は必ず存在します。


それを○か×か。良いか悪いか。というような2択で分けることは避けるべきだと思います。


もちろん、場面によっては採択しなければいけない事や、非合法なことは裁くことは必要ですが。


極端な話、戦争の背景はまさに正義の争いですからね。


それぞれの意見は意見として。主張は主張として受容し、その上で考え、良い形を作り出していくことが理想だと私は思います。


綺麗ごとの様にも聞こえますが、綺麗ごとを目指すことは大切だと思いますからね。



◇最後に:まとめとちょっとしたオチ



誰かを批判する人生なんて何の得がありますか?
意見を押し付けて、何が楽しいでしょうか?


単純に時間の無駄ですよね。


SNSやネットを見ていて、本当に他人に関心を向けすぎているなー。と思うんですよね。私も自分で感じることがありますが。


他人への関心を自分に向けてみるだけで、人生楽しくなりますし、楽になりますからね。


これはストレスの主成分のほとんどは対人関係からくるという根拠からのお話です。



お互いが住みやすい形を模索する社会になって欲しいな。という気持ちを報道やSNSを見ながら感じましたので、本日の記事とさせていただきます。


ちなみに、お互いの考えを主張、受容、改善の流れはアサーションスキルの記事でも簡単に説明しておりますので、良ければそちらもお読みください。




余談ではありますが、夫婦別姓の件で、私はこだわりはありませんが、自分の好きな名字なので、もし結婚する時が来れば、同じ名字でいてくれると嬉しいなとは思います。個人的に。


結婚ね、、



はい。笑



本日も最後までお読みいただきありがとうございました!


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