「先に向かなくなったのは貴方だよ」
note、勝手におすすめ表示されて気まぐれに他人の記事読むと面白い場だ。ガチの不倫日記や赤裸々な記事が多い。開かれているが閉じている側面もあるような場だものね。Xばかりを好んで必死に見続けているような人間は長文を読む気がなければ読解力もないだろう。
母に「ほくなさんはかなり今のパートナーを気遣っているね、そしてパートナーはその気遣いが気遣いだと全く気づいてないね」と言われた。
私の母はかつて躾の厳しいヒステリックな母親だった。それは私の父親がどうしようもなく家庭的でもなく心に大きな暗闇を抱え家庭を持つ夫や父親をやるのに全く不適合すぎる駄目な人間過ぎたので一人で働き一人で私を育てるしかなく誰にも頼れず私をとにかく自分の身に何かあっても一人でも生きれるような人間にさせることに必死だったのと、半分はやはり勝手だからである。
母は「私が一番頑張っている」主張が酷く、未だにその主張は彼女に余裕がない時期に口から吐き出されるが、嫌なことはやらなきゃいいそれだけだよもうそんなに長く生きないのだからやりたくないことはやらなきゃいい私はそもそもあなたのやっていることの大半をあなたに頼んでないよ?私は今の年齢で既にそうだし好きに生きる、と母に少し前に話した。
母も自分自身の残り時間を日々感じながら生きているせいか大分人間としてコミュニケーションを取る上でまともになってきた。
彼女は長い事素直になれる環境下で生きれなかったのだ。
気の毒だと思う。私という存在もいたし、もう自分を頑なに強くすることに全力を尽くし過ぎてしまったのだ。
私は母と未だ距離が近いことをメンタルクリニックで指摘されたが
これはもう私の今までの人生の呪いだったので今も近くにいるが
私は自分が遠くで暮らし生きたかったら母が身寄りもなく独りだとしても離れますという話は母自身にも既にしてある。
私達はいつか離れたくなくてもどちらかがうっかり命を落として離れてしまう時があるのかもしれないのだからその可能性を常に頭の隅に置きながら今は近くで生きよう。
ということなのだ。(やはり時々私が箍が外れたように怒り狂うくらい嫌になる言葉や態度を放つのが母なのだが、もうこれが私の母という生き物でしかない)
そして私は今、パートナーに対しても同じことを思っている。
自分が遠くで一人で暮らし好きなことをし叶えられるのならそうするつもりなのだ。伝えてもいる。
「貴女と彼は同じ方向を向いていないようにしか見えない」
それが今の母から見た今の私とパートナーらしい。
実はもうとうにそれは理解している。
愛しているとは伝えるがそれはあくまでも
長い時間をかけ深く愛されたから長い時間をかけ愛し返しているだけなのだ。
実際に彼が私を愛していない状態で私が彼を無条件で愛するかと問われたら
愛さないと迷わず言える。
そもそもかつて「愛がわからない」と言っていた人間なのだ私は。
私は彼と出会った頃、やはり死のうとしていて自暴自棄に生きていた。
彼は「出会った頃のあなたは捨てられた子犬みたいな目をしていた」と言ってきたことがある。
確かに私は父親には捨てられたようなものなのでそうかもなと笑える程度に過去の自分を過去の自分、今の自分は今の自分、とそれはそれこれはこれ的に考えられるくらいの自分に変わっていった。
ずっと私は彼がいたから生きていたところがあったのだ
結婚後に具合も悪くなり自分で外にも行けなくなり
私の居場所は彼くらいしかなかったのだ。
けれど再び表で作品を出すという活動を始め、私の拠り所は彼以外にも
出来、そんな中で病気になりすぐに妊活を決め一年経ったあたりで奇跡的に授かり出産したが産後病状は悪化する一方だった。
私は寝込むしかない時間が増え、自分は母親になったのにまともな子育てが出来ない人間であることが後ろめたく虚しかったし絶望した。
異常な量の鎮痛剤を飲んでも叫びたくなる陣痛のような痛みが1年以上続いた。
あまりにも飲む薬の量が多いので手帳に書ききれずその辺に落ちている余白が残っているいらない紙をやぶって飲んだ薬と飲んだ時間をなんとか雑にメモし続け手帳に挟んだ。
そのメモは捨てたか、一生忘れない為に写真に残した。
自分自身が痛みそのものなのではないかと疑うくらい拷問な期間だった。
医者がとりあえず薬を飲んで下さいを診察の度に壊れた機械が流すアナウンスのように繰り返すことに毎回絶望した。
でもまた妊娠したくなる可能性がゼロではない限りは耐える道を歩み続けるしかなかった。
しかしもうとてもじゃないけれど無理、となった。
病状が悪化して一年経過したくらいだっただろうか。
ミレーナの挿入を希望した。
もうこれを試しても変わらなかったら手術しか選択肢がなかった。
手術=子宮の全摘出だった。
部分摘出も出来なくはないが結局数年後に再発しまた手術しなければいけなくなるからだ。
何故かミレーナの挿入の方が出産より遥かに痛く感じ、一気に血の気が引き具合が悪くなりその日はしばらく病院から帰れなかった。
こんなに痛い思いを続け何をしているのか何で生きているのか次第にわからなくなっていった。
ミレーナも入れ、鎮痛剤も飲む。それを閉経まで続ける人生を送る。
全く先が見えずなるべく考えないようにした。
可能な限り前向きな気持ちをもって過ごすと決め過ごし続けた。
寝込んでいる時間が多すぎる中で無理矢理新しい漫画の原稿を比較的痛みがひいている時間でつくることにした。
原稿の進みはかなり悪かった。
しかしミレーナをいれても鎮痛剤を飲んでも何をしても激痛が訪れるので私は次第に「生きていたくない」と思うようになっていった。
そして
「もう死にたい」
「死にたい」
「死んだら痛くなくなる」
というところまで痛みに身体は浸食されていた。
そして諦めることを決めた。
ひとつ臓器をなくし子供が二人やそれ以上にはならない未来と引き換えに
自分の命の方を残そうと思った。
「死にたいくらい辛いからもう手術しようと思う」
パートナーに伝えながら自分に敗北した気しかしなくて私は泣いた。
私は私の身体に負けたのだ、と。
こんなに気丈に振舞って闘病し続けたのに
結局精神は肉体に負けるのだと思い知った。
涙が止まらなかった。
私は負けたんだ。
人間として。
結局人間は肉体に逆らえない。
他の生き物と変わらなかった。
手術は6時間行われたようで術後の私の腹部はかなり膨れ上がり、五か所にテープが貼られていた。
私は最新のロボット支援腹腔鏡下手術を受けたのだ。
ダヴィンチというロボットを医者が操作し手術するので肉体に傷を入れる箇所が極端に減るし通常の腹腔鏡手術よりも正確に手術出来るらしい。
その五か所の傷は今大分薄くなった。
一か所は臍の上に開けているので臍は術後、前の臍の形ではなく少し攣った見た目になっているが、術前の身体を知らない人には全然わからない差だ。
長く書き続けたがつまり私は術後、健康になった。
そして身体が健康になったので徐々に前向きさを取り戻し
今まで闘病中にできなかったことを全力でやると決めた。
元気になった自分とやっと出会えたことに感動していた。
パートナーに頼ることは極端に減り、漫画も以前の様に描けるようになった。
しかしそのあたりくらいから彼の様子が少しずつ変わっていき、彼は鬱病になった。
通院をし薬を飲みながら家庭を支える為に最低限の量でもなんとか仕事をこなしていたのでそれは本当に凄いことだったと思う。
けれど私達はそのあたりくらいから少しずつ変わってしまったのだ。
私は彼がいなくても大丈夫になり、彼は彼を頼る私を支えることで今まで生きていたのだ。
急にその役割が消えた彼は何を支えに生きていいのかがわからなくなってしまった。
彼は出会った頃から死にそうになっていそうな危うい私を支えるということだけでなんとか生きていたのだ。
そして私は彼と共有するものを徐々に減らしていった。
実際彼も私と共有するものを減らしていると思う。
昔はお互いに好きなものをすすめあったがいつしかしなくなった。
気遣いもあったのだが大事なことほど私は彼に伝えなくなった。
私は以前の私を引っ張りだして彼と話している。
前の私を装い話し接し気遣う言葉を発している。
しかし今の私はもうとっくに彼がいないと死んでしまいそうな私ではない。
だからもう家族じゃ私の希死念慮をなるべく遠ざける役割はもう出来ないのだ。
明らかに私に対して効き目がないからだ。
こんなつもりで共に生きることを決めたわけではないのに
人間というのは残酷に変化していく。不変はない。
私も彼も変わってしまった。
一緒に過ごした年数だけが積み重なっているが
今は積み重なっていないのかもしれない。
積み重なることなく埃がついているのかもしれないし
錆つきはじめているのかもしれなかった。
自分の人生をこんな風に書き連ね
「これはオートフィクションだよ」
と笑えればよかった。
でも確かな現実でしか生きれないのだ、人間は。
私が自分に正直になればなるほど
どんどん彼と出会った頃の私から遠ざかっていき
もうその頃の私の姿は私には見えない。
「結婚が墓場だ」
という有名な言葉があるが
結婚は墓場ではないが花火みたいかもしれない。
はじめは綺麗に咲くが次第に火は薄れ消えて煙だけやたらと鮮明に見え
そして花火なんてなかったかのように空にのまれる
永遠の愛なんてないと知っている
だから私は愛している時に愛していると言う
いつか愛さなくなる自分の存在を感じながら
生まれてきた、傷ついてきた、片親になった、
成人した、恋愛した、結婚した、親になった、
作る人間になった、ファンが出来た、狂ったように聴き続けられる曲を作る人に出会った、その人のファンになった
どれも今の私に辿り着かせたことである
結婚は不幸ではないが幸せでもないのだろうというのが
今はわかる
でもやってみたのだから良いのだ
その結末がどう転んだとしても
私はこの先もどんどん「私として生きたい私」を生きるのだ
結婚しなきゃよかったなんて絶対に思わないし
凄く凄く楽しかった
今だって楽しい時間はある
でも私はいつかパートナーと離れるのだろう
私の勘はうんざりするほど当たっていることが多い
これからの私は
強烈に共に生き続けたい人に出会い生きるのかもしれない
心中したいくらい愛したい愛されたい人に
殺されたいくらい愛したい愛されたい人に
そんな出会いは訪れず独りで生きるのかもしれない
明日のことすらも人間は知らない
それでいい
これからを知らないからこそ変われるのだから
「先に向かなくなったのは貴方だよ」
と私は言いたかった。
けれど
きっと彼も同じことを私に言いたいだろうと想像できるくらい
彼と生きてきた私は後悔もなければ今だって不幸ではない。
ただ幸せではないというだけだ。
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