Wと私は確かに生きていたし私にもWにも互いが必要だった、きっと
いきなりだが小学校時代に同じクラスだった女の子
Wのことを書き残す
※気付いた誤字脱字は気付いた時に修正しています
投稿をまとめて貼り付ける
「なんだっけな、なんか急に小学校低学年の頃のクラスメイトを思い出した。女の子で片親で母親は夜の仕事をしているようだった、年の離れた兄は寿司屋で働いていた。家に遊びに行ったりもしたし、遊びによくきてもらった
でも彼女は割と私の持ち物を盗んで帰っていった。小学校でもそれをやったのだが先生との話し合いで「ほくながいじめてくるから」と私のせいにされ「いや全然違う」と思いながら当時の私は「いや違うでしょ!?」とはその場で怒れなかった。彼女には彼女の抱えているものがあるとわかっていたから
とはいえ彼女は時々私のものを盗んでいっても私は彼女と神社で遊んだり彼女が読んだこともない本を貸してくれたり、彼女は小学1年で既に自炊ができてハンバーグを自分で作って自分の夕飯を作っていた。だから彼女にハンバーグの作り方を教わった。母ではなく私に教えた一番最初の人間だ
高学年ではクラスが変わったが時々話す機会はあった気がするが私が高学年の頃はもう家も相変わらず滅茶苦茶だったので記憶があまりない。私はひたすら学校を終えて友達と遊ばない日は遠くの古本屋に毎日行って本を必ず買った。どの世界を次は知ろうか、と考えて一人で外で読んでいた
結局そのハンバーグの子は?高学年位になってから男子とよく遊ぶようになり思春期だからこれは早々セフレとかそういうのを作っていくのだろうなと噂を聞きながら彼女の未来を考えていた。でも私にハンバーグの作り方を教えて面白い本を教え時々外で一緒に遊んでいた彼女との時間は多分楽しかった
だから彼女は中学高校になって男遊びが酷かったりおじさん引っ掛けてお金もらったりとかそんな人生だったとしてもしぶとく生きていると、そんなことを深夜に思い出しずらずらと書いていた。皆普通のフリしていた私と遊んでくれて話してくれて
ありがとう」
ここからは補足的にnote用で描き残す↓
Wと私は出席番号が当時割と近かった。そして誰とでも友達になってしまう性格だった(当時)私はWとも友達になった。
Wは一階にローソンのある当時にしては少し綺麗な見た目のマンションに住んでいたが一緒に帰ると部屋は暗めで誰もいない。
「お母さんもお兄ちゃんも帰ってくるの遅いから」
私の母はWの母は多分水商売をしているからあのことはあまり仲良くしないほうがいいと勝手な偏見を私に押し付けてきたが私はそうか夜の飲み屋の仕事かあくらいにしか思っていなかったし、それが実は風俗だったとしても誰かにとって必要な仕事なら偏見も何もねえ立派に仕事じゃん。
ということで何も思わなかった。
私はWと遊びたいかとか一緒にいたいかとかその基準でだけで側にいた。
Wが遊びに来ると私のおもちゃが度々減っているのでこれはWが持って行ってしまったのだなと気づいていたのだが人形遊びのお家の小さなアイテムだった。少しくらいなくなっても私は工夫して遊べるし「私のものを盗んだでしょう?」といちいち聞いてもめたくなかった。
Wはそういう特殊環境…という言い方は変だが、土地柄の関係か私は公立にいっていたのに通っている子供達の実家はお金持ちが多かった。(当時)
海外から転校してきた、親が海外勤務で単身赴任、割と当たり前だった。
だから逆にそうでない家の方が少なくて浮いていたかもしれない。我が家もそうだし。でもなぜか私はお嬢様扱いされた。何故。着ている服がブランドものだったからかもしれない。雰囲気とか。いやでも自宅なんてボロ屋だったよ。親が家にお金かけたくないからというのに付き合わされ綺麗な家に住みたくてもボロ屋住まいをずっとしていた。その代わり家賃にかけないお金を旅行代や物にあててくれた。
のどかな街だった。なんて誉め言葉にもならないくらい何もない街だった。
でも春には駅前にも少しはなれた坂の上の桜も美しい街だった。
今はその街が昔やっていたゲームのシリーズの別作品の舞台になっていてこの前聖地巡礼で人が凄かったらしい。
いやなんもないのだがなマジで。
ただ何もないのは良さだった。何もないから自分達で工夫して考えて
遊ぶしかない。
自分達が楽しむために頭を使い何を使ったらこれで面白く遊べるかとか、
いきなり知らない道を散策したり、ザリガニ取ったりカエルとったり
そんな風に私は子供時代過ごした。
そういう風に同年代の子たちといる時間は救いだった。
家庭は地獄だった。家に帰るとずっと怖いのに平静を装う子供を生きていた。
ひとりでいる時間も大好きだった。
安く古本屋で本を買い、商業施設のベンチで何時間も本を読む。
寂しいのだろうかこれは、
よくわからないごちゃっとした気持ちのままで読む漫画は
面白かった。
中学生も高校生も想像できなかった。
大人になったら恋をするのだろうかと考えていたが
男性が父親のせいですっかり嫌いで興味もなくなった自分には何も将来が見えなかった。
本当に酷い話だが素直に振り返るといじめられていたというか
嫌がらせをされていた高学年時代だった。
私はあいつらが大嫌いだしどうせ私より大した人生送っていない
私より大した人間やってない、という自信がある。
だって小学生の時点でこいつらよりどう考えても賢かったのは私でしかないのだから。
でも中にはそこに加担せず冷静に私と話す子が一人いた。
そういえばその子も随分冷めた目の子だったな。と振り返って気づいた。
ある日私は夕方の校庭の鉄棒でその子と二人きりになった。
我武者羅に夕方のグラウンドで走り回りながら呑気にサッカーに熱中しているクラスの奴らを少し遠くから眺めながら
「わたしは皆にどう思われているのだろうか」
と聞いてみたことがある。
「皆、ほくなが怖いんだよ。
何考えているかわからない人のことは、皆怖いんだよ」
彼女の言葉を聞いた瞬間愕然とした
そして心底
「くだらねえ!!!」
と怒鳴りつけたくなった。
クラスメイトも。
先生も。
両親も。
世界も。
なにもかもに。
私は私を生きているだけなのに勝手に怖がられ妬まれ嫌われ
ふざけんなよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
今でもその想いは常にある。
だから私は私を妥協する気は、ない。
折れない。
嫌だ。
私は私をやる。邪魔すんなどけよ
そんな風にしかもう生きていない。
だからそういう人達と新しくこれからは出会いたい。
全然知り合えていない人達が沢山いる
私を私で良いと言ってくれる人、更に私も「あなたはあなたのままでいい」と心から伝えられる人
そんな人達としか話をしたくないのだ
それでいいんだ
一度きりを無駄にはしないんだよ
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あと来月のコミティアに出ます♡遊びに来てね♡
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