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「笑い」と「恥」の境界線をずらせ!

"異文化を知れば、人生がほんの少し軽くなる。"

侮辱とジョーク。羞恥とお笑い。
これらは皆、紙一重である。
そしてその境界は、文化によってガラッと違う。
あなたが無意識に引いているその境界、グラつかせませんか?

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日本とアメリカは、どちらも、「平等」を愛する国だ。
そういうと、すぐに双方から反論されるだろう。
日「あんな、貧富の差の激しい、不平等な国が?」
米「あんな、上下関係の厳しい、不平等な国が?」
そう、平等の定義は違うのだ。

アメリカ=生まれながらに平等。よって、敬語など上下関係の意識は薄い。他人と差をつけられるかどうかは努力次第。
日本=生まれた状態は不平等。努力して平等を目指す。しばしば問題とされる同調圧力になったりする。

つまり、アメリカ人は競争が大好きで、決まった序列や同一を嫌う。
そして、日本人は序列や同一性が大好きで、競争は避けようとする。
この違いが、何を引き起こすだろうか。

例えば、「親」という存在に対するイメージ。
日本において、「親」といえば、色んなことを教わる先輩、敬い孝行すべき対象、とにかく自分よりは上、権力を持った存在というイメージだろう。
ところが、アメリカでは、「親」というと一番身近なライバルという感覚も強いのだそう。
親子関係で悩んでいる方、いっちょ「打倒、親!」「子に負けてたまるか!」と思い合ってみるのもアリかもしれません。
(大人と子供に関する日米の違いについて:大人になること

あるいは笑うポイント。
そう、アメリカでは、相手を侮辱したり、挑発したりすることが、冗談になったりする。しばしばアメリカンジョークが笑えないのは、日本人は競争を吹っ掛けられると不愉快になるからだ。あるいは顔に泥を塗られたと感じる。しかし、境界線をずらせばいい。笑っていいのだ!侮辱されたら大笑いするチャンス!顔に泥を塗られたら美肌のチャンス!
そしてなんと、日本では、他人と違うことをすると笑われる。皆にできることができなければ笑われる。しかし、笑われていいのだ!皆ができることは、皆にやってもらえばいい!それは恥ではない。ユニークで、おもろいことなのだ。思いっきり大笑いしようじゃないか!


参考文献:
ルーズベネディクト「菊と刀」

追記:イスラーム圏では、皆家にいるのが幸せ。「亭主元気で留守がいい」なんていうと怒られるらしい。by内藤正典, 中田考「イスラムが効く!」

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