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【第33話】油井園長の葛藤①

油井益代(あぶらいますよ)は、長年保育現場で多くの子どもと関わってきた。そのため、管理職である園長という立場でありながら、常日頃から各クラスに入って子どもたちと関わっていた。

やはり自分は子どもと関わっている時が一番楽しい、と油井は感じていた。


保育者を志したのがいつだったのか、あまり明確ではない。
益代の実家は農家で、繁忙期には地域の子どもたちを集めた季節保育所に預けられていた。益代は一人っ子だったので、保育所で友達と遊んだり、自分より幼い子どもの面倒を見るのが好きだった。お盆や正月などは油井の家に親戚一同が集まることも多く、益代は群れの中で育っていった。


中学生になってからは、季節保育所を手伝うようになり、家族から保育者になることを勧められた。田舎のため、近くに保育者養成校がなかったため、東京の専門学校に進学し、そのまま東京の保育所で保母として働き始めた。

その後、幼稚園に転職し10年近く勤めたが、結婚と出産のため一時期保育の現場を離れることとなった。2人の子どもの育児に追われる毎日が過ぎ、下の子が小学校に入学したのを機に、住まいの近くにあった、ここさくら保育園にパート保育者として務めることになった。

パート保育者であったが、保育経験があった油井は他の保育者からも頼りにされた。前園長は、油井が他の保育者から信頼されていることを認識していた。そのため、自身が定年退職する際に、油井に園長を継いでくれるよう打診した。油井は最初は自信がないことを理由に断ったが、園長として違った形で子どもの育ちに貢献して欲しいと何度も説得され、最後には折れた。


前園長も保育者としての経験は長かったが、マネジメントやリーダーシップについての知識はほとんどなかった。油井が園長になった時、モデルとしたのは前園長だった。

油井は自分の仕事は保育の専門性を職員に伝えることだと思っていた。そんなこともあって、保育に入っている時間が長くなっていった。
しかし、順子のように保育について指摘をしたり助言をすることはない。それは、職員に気をつかっているからではなかった。
油井は新人の頃より、先輩の背中を見てきた。つまり、人材育成とは、「先輩が後輩に自分の背中を見せて育てることである」と考えていたのだ。


しかし、数年前から退職者が後を絶たず、そしてその明確な理由も分からず困っていた。油井はマネジメントやリーダーシップについては自信がなく、長年さくら保育園でリーダーという立場を担ってきた順子を頼り切っていた。一番恐れているのは、退職者を出すことである。そのため、いつも職員の様子には気を配っていたはずであるが、なぜか上手くいかない。


主任の順子からは、園長や主任の管理者層がクラスに入ると、思った保育ができないことが原因ではないかと言われたこともあった。なるほど一理ある。しかし、未熟な保育者には、自分のような経験を重ねた保育者の後ろ姿を見せなければならない。そのような思いを抱き葛藤していた。
結局答えが出ないまま、何もしないよりは良いだろうと思って、時間があれば保育に入り続けている。


「ストーリーで読むファシリテーション 保育リーダーの挑戦」一覧はこちら
https://note.com/hoikufa/m/mdab778217cb1

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