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204X年TOKYOの話


204X年、ここ東京という街はなんともまあ、変化・革新をぐるぐると更新し続けている街だ。渋谷の工事はいつになったら終わるんだろうかとAirPodsを耳にかけて音楽と共に歩いていた学生時代はとうの昔。あのでっかいビルもそばにある変な形をしたぶてぶてしいビルも今じゃこれが東京スタイルだから、と言わんばかりの格好をしている。

そういえば、大学の同期があのビルの中で大手企業と呼ばれる会社を差し置いて自分の会社のオフィスをもぎ取ったらしい。この前遊びにおいでよと言われて行ってきたけれども、白、銀、無機質、受付はiPadで呼び出す方式、もうちょっと人間らしさを出してよと思いつつ中に入っていたカフェのチャイティーラテは美味しかった。そこで聞いた個性覇権略奪戦争の話はなんだかな、と思いながらこの後食べにいくもつ鍋屋さんの予約を入れていた。2020年に来た東京オリンピックを皮切りに誰でもできる仕事が排他的な流れになり、個人の強みだとか、らしさが大事だ、そうじゃないと生きていけなくなる。なんて流れがあった。確かに、大学生アルバイトができるような事務仕事はほとんど無くなったし、就活の時のひっつめ髪黒髪黒スーツのペコペコ陣は見なくなったおかげか、人身事故で中央線が止まることも少なくなった気がする。そもそも精神状態が危うい人間に対して会社や学校、大きな商業施設に搭載されている防犯カメラとセンサーによる多大な行動データと個人が持っているスマートフォンのデータと合わさって警告メールが親しい友達に送られるシステムのおかげで最低限の孤独化は免れるようになったのである。

本人には気づかれぬ程度の趣味趣向に合ったイベントの招待券や新作の無料クーポン券、食生活チェックリストなどが贈られるのだ。情報がある程度ビックデータとして管理されるようになったのだから、その数多くの事象から外れる、いわば自分らしさという名の異常性を自ら生み出すのは大変難しくなったのである。まあ、無理もない話だよなとチャイティーラテを飲んだ後の体調チェックをその辺に飛んでいるセンサー群に任せて健康スコアを確認した。

今の時代、生まれてある程度の自分の情報を並べたらあなたにはこれが合いますよ!と学校、習い事、趣味、仕事、旅行先、食べ物全てが一覧となって最初に提示されちゃうものだから自分で試行錯誤してこれだ!と運命的な出会いをするのは難しいかもしれない。最近よく一緒にいる友達や、好きなことの可能性も全てパーセンテージと将来有望性なんて物を数字で計られちゃうこの世は問題を解く前に全て赤で記されている謎解き後の街をただ確認するようなものだ。面白くもなんともないよな、

まあ親族の病気や大病を患った後の金額と保険の掛け金、残りの寿命までもわかるようになったから、お金が足りなきゃ全て丸投げするか見切りをつけて絶縁しちゃうこともできるようになったのだ。いつの間にか私たちの事ある事象をデータに積んできた。そんなデータには温もりがない。人間にしか感じられない温かさとか愛はデータに記録することができないのに。瀬戸際の警告メールで回避される孤独なんて孤独じゃないだろうに。

誰かの人間らしさを欲しいと叫んでも横取りできるようなものじゃないよな。そんなことをサビで歌ったあの曲がぐるぐる渋谷のセンター街で流れている。20年前のあの頃よりテクノロジーが進んだのは紛れもない事実。鉄道に乗ったってチャージ切れで改札詰まることなんて人体搭載チップのおかげでおとぎ話になったし救急車に乗りたいと本人が自覚する前に付近に救急車がいることも可能になったし便利は便利だけれど。本当の人間らしさはインターネットで検索しても出てこないよ。本当に大切なものはインターネットの海の中じゃない、でもどこにあるかわからないし。今感じられるのはチャイティーラテが入っていたマグカップの微妙な温もりだけだ。

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