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腕時計をつけた。ちょっと自由になれた気がした。
「スマホ、なるべく見るのやめようかな。」
年に数回ほんのりと脳裏に浮かぶこの気持ち。
本音と言えば本音、でも現実問題ぱっと手放せるほどの勇気もない。
コロナ禍を経験する中で世の中はよりデジタルに舵を取った。
電子チケットやクーポンが当たり前になって、スマホ1つで口座の動きもマイナンバーもお手のもの。
こうして私がブログを書けるのもnoteというプラットフォームがあるおかげ。
いつもnoteを快適にしようと頑張ってくれている方々には頭が上がらない。
そんな文明の利器から距離を置いてどこにいくというんだろう。
うまく言葉にできないけれど、デジタルの世界に身を置いていてばかりもいられないことは薄々と感じていた。
どこまでいっても私の世界は自分で見て考えて決めていくしかないのだから。
衝動的な気持ちもありつつもできそうなことから始めないと……と悩んで手に取ったのが腕時計だった。
思えば学生時代はいつも時計と一緒だった。
中高生のときは頑丈で壊れないものを、と母が贈ってくれたBABY-Gを6年間ボロボロになるまで毎日身につけていたのを覚えている。
大学生になってからはシチズンのXCがパートナーになった。
BABY-Gと違って小ぶりで女性らしい曲線とカチリと金具を閉めるとアクセサリーのように腕に馴染むのが心地いい、
身につけているだけで大人になったような気がして、どれだけ遅刻しそうになっても時計をつけることだけは忘れることはなかった。(なお大学は遅刻を繰り返すダメ学生でした。)
それから何年も経って、
社会人として働くようになって、
ひょんなことか、フリーランスになって、
関東から北海道に渡ってまた会社員になって…。
いつの間にか腕時計をつける機会が減っていった。
それは他のことも同様で、全てスマホに置き換わってしまったのだ。
音楽を聴くことも、読書をすることも、もちろん時計を見ることだって、手のひらの鉄の塊で完結してしまう。
荷物も少なくなっていい時代になったと感じる一方で、スマホに頼りすぎる毎日に虚しさに似た寂しさもあった。
私っていつもそう。
面倒だからとか非効率だからと一時の感情ですぐに手放して、結局「やっぱりいる!要らないなんて言ってごめんなさい!」と元の生活に戻るのだ。
不器用を通り越してこれじゃただのお馬鹿さん。
いつになっても変わらないみたい。
大学生に戻ったようにXCに手を伸ばす。
留め具を外して、手首に通したときの金属のひんやり感が懐かしい。
かちゃりと音を立てて再び戻ってきた私の時間。
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「ただいま」
時計からそんな声が聞こえた気がした。
今年はちょっと早足をゆるめて、景色を楽しんでみようかな。
時間をかけて味わって、小さな幸福を抱きしめて。
少しだけアナログになった世界も悪くない。
今日も空は雲ひとつない快晴だ。
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ほがらか
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