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そういえば、プロフィール(改)

日々、思いついたことをちょいちょいnoteに書いています。

電子版の日記帳みたいな感覚で気軽に利用しています。
同時に同じような状況に置かれている人へ『利用できる制度などの情報提供』になればいいと考えています。
(事案が特殊すぎてあまり役には立たないかもしれませんが😅
最近はそんなに頻繁に『制度・手続きネタ』は出てきませんし)

虐待サバイバーで精神障害者手帳もち。
身寄りがなく、現在無職(就労Bは雇用ではないので、無職としています)。

帰属意識はあまり高くなく、アクティブでピン芸人。
いたるところに出没します。

30過ぎるまで自分が虐待を受けていたことに気づけなかったのんびり屋です。


■被虐待で精神障害者保健福祉手帳もち

最近わかったのは私には発達障害があるということです。
ゆっくりした子供だった私を精神疾患の母は虐待していました。
15歳のときに心療内科を初受診しました。
4歳の頃にはもう不眠に悩んでいました。

父がアルコール依存でご機嫌ななめになる度に怒鳴るような人。
母は夫の暴言に堪え精神疾患になりました。彼女はそのストレスを長女の私を心理的虐待・物理的虐待することで解消していました。

私の妹は面前DVの被害者です。
『ぐず!』『のろま!』『出来損ない!』『落ちこぼれ!』『失敗作!』『不良品!』と母親に罵られ、包丁で脅され、物を投げつけられている姉の姿を間近に見て育ったため、私と同じ15歳で心療内科デビューをしています。

個人的に我が家は機能不全家庭を飛び越えて『ヤバ家』だったと思っています。


私は10代で一度家を出て、20代で地元に戻り、両親の離婚騒動に巻き込まれ、身の安全のために精神科病棟にシェルター入院の経験があります。

その後10年ほどあまり記憶がなく(解離していた時期が長く、身の危険を感じたときの記憶以外はほとんど思い出せません)20代の頃の記憶はあったとしても『苦しかったもの・怖かったもの』しかありません。
体調が悪く、排泄も自力でままならない時期に放置されて自分の糞尿まみれで過ごしたこともあります。

小学生の頃から母親が精神疾患で、父親がアルコール依存のモラハラ気質でした。
当時の私はヤングケアラー状態でした。


■30歳で復職…手術を経て実家から夜逃げ。障害者雇用美容部員に

30代になり、車の免許を取り、飲食のパートをしました。
父の食事や洗濯、皿洗いやアイロンがけ、掃除などの身の周りの世話を日々こなしながら、地元で一番人気のレストランでやり甲斐を感じながら仕事をしていました(障害者は世間様の役に立たないから家政婦くらいしろ、という家風でした。お皿の洗い方や洗濯のタイミングなど『誰の金で水が出るんだ』『誰の金で洗剤買えるんだ』と口出しがすごくて❝私は本当に奴隷なんだなぁ❞と感じていました)。

飲食で働いて数年経ち、子供の頃に折った骨が治療されずに折れたままであると判明。
手術に挑みます。

入院中に『リハビリが終わったら美容の仕事に就きたい』と、化粧品の勉強をはじめました。
のちに試験を受けて化粧品検定特級コスメコンシェルジュになりました。

実家から夜逃げをし美容部員になるもPTSDの症状がひどくなり退職…。

しかし、この頃の主治医から『あなたはPTSDではなく境界性パーソナリティ障害だ』と言われ続けていて、真実を知りたいと❝転院❞を決意しました。

いまでは、発達障害とPTSDの二本立てだと分かっています。


と、まぁざっとこんな感じです。

平たく言えば、
虐待サバイバーで精神障害者手帳もち。
身寄りがなく、現在無職。
生活保護も視野に入れましたが、もう少し頑張ってみたい……!
クローズ就労もオープン就労も経験があり、地域の生活支援員さんや就労支援員さんや社労士さんや福祉事業所の方々やハローワーク援助部門とサクサク連絡を取る『フッ軽手帳もち』です。
自分から探しに行けば、力を貸してくださる方にだって巡り会えます。

家庭も、脳みそも、学歴も、身寄りも、(今のところ、お金も仕事も😅)何にもないけれど、情報は自分でゲットしに行くだけの「動きの良さ」は私の宝です。




■結局noteには…■

日々の出来事。
考えさせられたこと。
私はこう思うなぁ…とか。

たまにお馬鹿な記事も書きます。

セルフネイルが好きなので、ちょくちょくネイル写真もアップしています。

意地ではなく、身なりを小綺麗にすることが私には『安心』をもたらします。

『汚い』と言われながら育つと『…今日の私、汚くないかなぁ?臭くないかなぁ?』と常に気にしてしまいます。
もう諦めて『じゃ、いっそ小綺麗キャラをつらぬいたるわ』となりました。


虐待や暴力被害の傷は簡単には癒えないでしょう。

ですが、癒やしていくのは自分です。

私はおっとりしているとか、お人好しそうと言われます。
壮絶と呼ばれるような過去は目の前の人には見えないものです。

ゆっくり、でも確実に傷を手当をしながら…

❝私の気持ち❞に寄り添って、私は生きていきます。

数年前に自分が被虐待児であったと気付きました。
遅かったとは思います。

このnoteは、私の考えや気付いたことや癒やしの記録でもあり、私と似た状況の方に『こんな支援があるよ』とお伝えする場になったらという思いがたくさん入っています。
毒親・虐待親育ちの人生はかなりハードです。

何度も死にかけたり、殺されかけたりしています。

だけど、簡単には諦められないんですよ❀

❝私の❞人生ですから。


あいつらの人生とはseparate(セパレート)していいの。


以上が私のプロフィールです。



読んでくださってありがとうございますっ♪



私の記事を読んでくださる方へお伝えしたいことを書かせていただきました。
お時間があればこちらもサラッと目を通していただけたら嬉しいです😌



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