【You Tube】地獄の黙示録の動画の原稿【誰も見ぃひん】

【神様になんてなりたくなかった】

という事で今回はフランシス・フォード・コッポラ監督の戦争映画、地獄の黙示録と
そしてそれの原作小説である【闇の奥】との比較、解説、ちょっと考察、という事でやっていこうと思うのですが
いつもそうなのですが、今回は特に「コレどうやって説明したもんかな…」という感じだったりして
僕が伝えようとしている趣旨がちゃんと伝わるのか非常に困っている訳なんですが

まぁ分かりやすくまずは、地獄の黙示録という映画のストーリーですね
これが意見が別れているという以前に、あんま理解されていないのかな?という感じがしますので
それを解説した後で、原作小説との比較、といった事をやっていこうかなと思います

ちなみに僕なりの映画の解釈という事になりますので、その点はご了承下さい

まずこの話は重要なキャラクターっていうのは僕が思うに3人、ないし4人しかいません
一人は主人公のウィラード大尉、そしてラスボスのウォルター・カーツ大佐
そしてみんなのアイドルビル・キルゴア中佐
そして最後の一人が一瞬しか登場しませんが、リチャード・コルビー大尉ですね

まず主要キャラである三人の劇中の立ち位置というのをざっくりまとめてみました
【画像】どん
まずウィラード大尉は特殊任務のような事を生業にしているらしい事が示唆されており
ようは一匹狼気質なんですね。あんまり協調性があるように見えませんが
とはいえ戦場に対する執着というのはカーツ大佐と似たようなもの、というところでしょうか

まぁ戦場に対する執着はこの三人はそれぞれ常人には理解出来ないレベルで持っている感じですが
ウィラード大尉とカーツ大佐の決定的な差というのは、出世に対する意欲といったところでしょう
要人暗殺みたいな汚れ仕事は基本的に極秘で行われるものであって
そっちのスペシャリストとなった以上、真っ当なキャリアというのは多少捨てなければならないと思われます

一方でカーツ大佐のキャリアは、誰もが認める、申し分ないレベルで完璧である事が示されます
彼に並び立つレベルのキャリアを持つ軍人は他にいないレベルで
米軍の中でも誰がどう見てもトップ中のトップになるような器であり
そして本人も、恐らくそうなるつもりでいたのであろう事は伺えます

で、この映画の話というのは「何故この完璧な軍人であったはずのカーツが狂ってしまったのか?」という
この一点で押し切ってきていると言っていいと思います

逆に言うとウィラードとキルゴアはどうしてカーツみたいにならずに済んでいるのか?という意味で比較にもなっています
まぁこの図を見れば分かると思いますが、早い話、ウィラードは一匹狼であり
キルゴアは戦場という場所に完全に順応してしまっていて、思い悩むような必要が無いからです

ではカーツ大佐はいったい何に思い悩んで、精神の平衡を無くしていったのでしょう?
という事が劇中でウィラード大尉の内面描写を元に語られる事になっていく訳ですね
ウィラード大尉はカーツ暗殺の任務を受け、ヌン川という川を上っていく事になる訳ですが
その過程にてカーツが感じていたであろう不満の大半を自ら体験する事になります

子供のような新兵、意味不明な従軍慰安、冷えたビール、温かい食事、ロックンロール
ウィラードにとっても不愉快なこういった現在の米軍を巡る現状
米軍のど真ん中で、ウルトラエリートとして地位を築き上げてきたカーツにとって
自分が人生を賭けて尽くしてきたはずのものが、このように堕落していった事に激しい怒りを覚えていたはずです

まぁある種三島由紀夫みたいな事なのかもしれません。アメリカナイズされていく日本が許せなかった、と
しかし三島由紀夫は切腹してしまいましたが、カーツはもう少し粘りました

自分こそが軍人の中の軍人だ。軍人とはこういうものだと言わんばかりに
超難関と言われる空挺部隊に志願し、38歳という年齢にも関わらずその訓練の全てをやり遂げます
しかしそんな事で軍隊が変わる訳も無い訳です。彼の努力は全て徒労に終わります

しかしそんな中、ベトナムのコントゥム地区という場所で現地人と共同作戦を展開。
これが良くも悪くも彼にとって圧倒的な転機となりました。
その過程で米軍が良かれと思って小児麻痺の予防接種をベトナムの子供達にしたところ
後からベトコンがやってきて、子供達の腕を全部切り落としてしまったそうです
なんで切り落としたのかは分かりませんが
まぁアメ公に何かされたって事が許されなかったって事なのでしょう。
そしてその光景を見てカーツはこう思ってしまう訳ですね

「コレが俺の求めていた兵隊だ。兵隊はこうあるべきなのだ」と

兵隊がベトコンのようであるべきかどうかは僕には分かりませんが
生ぬるく、たるみきったアメリカの兵隊を反吐が出るほど嫌っていたカーツにとって
コレは驚くべき衝撃だった、とカーツは語っています。まぁ分からない話では無いのかもしれません
命令に絶対忠実で、やれと言われたら子供の手を有無を言わさず切り落とすような規律
こんな兵が自分にもいれば、もはや敵は何処にもいない、それなのに今の米軍ときたら!という訳ですね

カーツは理想と信念を持つ誇り高き米国軍人でしたが
激しい葛藤の末に国を捨て、軍を捨て、家族すら捨て、自分の大事にしていたはずのものを全て投げ売って
自分の求めた理想の軍隊をベトコンやカンボジア人によって組織するなどという
傍から見ると完全に意味不明の行動に出て、敵味方問わず、全ての人間を驚かせました
簡単に言うとコレがカーツの苦悩、葛藤、狂気の理由であった、という事になるのだと思います

そしてカーツは自分がこのような行動に出た動機が、誰にも理解されない事に実は苦しんでいます
ある者は彼を殺人者と呼び、ある者は狂人と呼び、そしてある者は偉大な人物といい、ある者は神と言います
それは違う!という訳ですね。まぁハッキリ言って、狂ってると言えば狂ってるように僕は見えますけど
彼の中ではこの裏切り、転向というのは、完全に理に適った、自分の中の良心の声に従った
理解されてしかるべき行動なはずな訳です。
俺がこうなったのはお前達のせいなのに、お前達が俺を断ずるのか?と。しかもその全ては欺瞞じゃねぇか、と。

しかしここでカーツ大佐にとっては超特大の落とし穴があった訳です

彼はベトナム人やカンボジア人によって、恐らく人類史上最強とも言えるような軍隊を組織し
そこで神のように崇め奉られるような存在になっていった訳ですが
しかしそれはカーツが本当に求めていたものとは当然違っています。
彼は誇り高きアメリカの軍人として、素晴らしい兵隊を率いて、稀代の指揮官として活躍するはずだった男です
それこそが彼が歩むべき道。彼の望んだ道、そうならなければならなかった道だった訳です
しかしその夢は断たれてしまった。忌まわしきあいつらのせいで!

それは欺瞞、嘘、偽り、曲解、腐敗、汚職、堕落といった、カーツの預かり知らぬところで起きた事だった訳ですが
一方で今の自分は、アジアのジャングルで、ベトコンを率いて、神様になってしまっている
彼の創り上げた理想郷は、結局はダミーであり、模造品であり、
彼が本当に臨んでいたもの、欲しかったものとは似ても似つかぬものだったどころか
こういった自分の立場こそが、彼がもっとも嫌悪した欺瞞そのものであり
しかし、自分の人生の全てを捨ててしまったカーツとしては
それを今となっては、止める術も無い訳です。誰も自分の事を理解してはくれない訳です
自分の中に生まれた疑念の中で引き裂かれそうになりながら、それでもカーツの王国は強大になっていきます

しかしそこに一人の男が現れました。彼の名はウィラード…ではなくリチャード・コルビー大尉
彼はウィラード大尉の前任者で、カーツを暗殺する手はずになっていたはずが
カーツの考え方に共感してしまい、今ではカーツの指揮下に入って、カーツのために戦っています
これは軍にとって絶望的な話だったでしょうが、カーツにとっても絶望的な話だったのでしょう
彼が求めていたのは共感者では無く理解者です。自分の事を心の底から理解し
自分が何故こういう立場に追い込まれてしまったのかを、彼の代わりに代弁してくれる人を求めていた訳です
全て理解した上で、それでも自分のように、ダークサイドに落ちない人間を欲していた、という訳です

といった状況下で、ついにその時が訪れます。
ウィラード大尉。彼はカーツのような気質を持ちながらも、カーツには共感する事は無く
自分を保っていられるという稀有な特性の持ち主でした。カーツにとっては渡りに船です

もはやウィラードのような人間が自分の元を訪れる事は決して無いだろう
カーツはウィラードに対して言います。殺すなら君がやってくれ。そして私の事を正確に
神だとか、頭が狂ったとか、救世主であるだとか、そういう欺瞞無しに、正確に人々に告げてくれ
私がどういう人間だったのかを、と。

そしてカーツに対して一種の同情心、一種の共感を覚えていたウィラードは決心します。
彼の悪夢を終わらせてやろう、と。

カーツは殆ど抵抗もせず、ウィラードに殺される事になります
カーツを殺した後に彼の残した原稿を見てみるとそこにはこういう文字が
「爆弾を投下して、すべてを殲滅せよ」
欺瞞を何よりも軽蔑していたカーツにとって
彼の創り上げた欺瞞の王国が彼にとってどういうものだったのか
そしてその中で神となってしまった自分をどう思っていたのか?という事が分かるシーンだと思います

そして外に出ると、現地人達はカーツを殺して出てきたウィラードをもまた
まるで神を見るような視線で見上げてきます。コレこそがカーツが自らを救うために築き上げ
そして何よりも嫌悪した光景だったのではないでしょうか

ウィラードはそれを無表情に見つめ、カーツを殺した剣を投げ捨て
そして何も言わずジャングルから去っていきましたとさ

といったところが僕の解釈になります。

いかがだったでしょうか?それなりに納得のいく説明になっているとは思うのですがね
まぁ誰かの心の中でしっくり来てくれていれば幸いです

ではここからが問題です。小説、闇の奥との比較という事になります

で、ハッキリいいますが、この小説、地獄の黙示録という映画とは、もうハッキリ言って全然違います
まずカーツ大佐は軍人じゃなくって、象牙を取り扱っている悪徳ビジネスマンですし
舞台もベトナムではなくアフリカのコンゴです。

で、どういう話かというと、ヨーロッパ人があっちこっちに侵略して、あれこれ収奪し
植民地を次々に作り上げていったという歴史は皆さんご存知かと思いますが
それが行き着くところまでいって、もうアフリカの奥地、コンゴの川を上ったような場所くらいしか
人類の秘境、と呼ばれるような場所が無くなったような時代の話なんですね
まぁようは、白人による黒人の収奪、奴隷化、植民地化の話になっていまして、もう話として全然違うんですね。
登場人物も「カーツ」くらいしか共通して出てくるキャラクターはいません

地獄の黙示録で良く分からない部分ってのはまぁ色々あると思うんですが
「どうやってカーツがこのような王国を築くまでに至ったのか?何故カーツは神として崇められているのか?」
という部分があるかと思うんですよね。なんか「別にそんな凄い人に見えないんですけど」っていう
多分コッポラとしてもそれは重々承知だったと思われ
だからこそ思い切ってマーロン・ブランドを起用して
ゴッドファーザー感を出したかったんでしょうけど、で、あんまり出なかったって事なんでしょうけど

この部分ってのは原作の名残という事になっていて
原作ではコンゴの奥地の現地人というのは蛮人という蔑称で呼ばれていて
もう本当に、何も知らない連中だったんですね。ようは鉄砲でバキューン!とやった後で
「今のは神の雷!神の裁きだ!」と言われたら現地人はもうそっくりそのまま信じてしまう、という
この肌の白い人達は神様の使いなんだ、と本気で信じてしまうような感じの人達だったりするんですね。

地獄の黙示録は戦争の話ですし、ベトナム人もいくらなんでもそこまで田吾作という訳では無い訳ですから
この部分は設定だけ流用して、でもどうやってそうなったかという部分は完全に省いてしまっている形になってます
ちなみにこの汽笛を上げれば怖がって逃げていくよ。みたいなセリフも原作にありますね

ここで僕はふと思ったんですけど、日本の鉄砲伝来の時もこういう事ってあったんですかね
「鉄砲は神の力っていう事にしてこの国食い物にしようぜ」みたいな悪い白人の画策って
なんかあってもおかしくなかったんじゃないのかと思うんですけど、流石に騙されなかったのか
まぁ遣唐使とか遣隋使とか派遣してたから「鉄砲なる武器があるっぽい」みたいな情報くらいは
当時の幕府、室町幕府ですか、は掴んでいたのかもしれませんね
そう考えると日本って結構やる事はキッチリやっていたのかな?という感じもしてきますよね

まぁそんなこんなでカーツは現地人をだまくらかし、象牙を集める事で、一財産築く事に成功します

そして小説版のカーツもまた、映画版のカーツと同じように
過剰とも思えるほどの尊敬を周囲の人間から集めまくっている訳なんですが
恐らくコレというのも、ただ単に「ビジネスマンとして非常に有能だった」という事なんですね

当時の白人社会はコンゴという未開の国を食い物にしよう、ここで一財産作ろうと思ってやってくる訳ですが
基本的にそんな感じの白人な訳で、現地人に対するリスペクトとかそういうのは無い訳です
現地のアフリカ人達を見て「これだから未開の猿共は困るぜ」みたいな
そういうような感じであった事は、まぁ想像に難くないところだとは思うのですが
恐らくカーツはその辺りは非常に聡く、良く言えば現代的であり、悪く言えばズルかったのでしょう
彼は鉄砲や、他にも色んなギミックを恐らく利用し、自分がまるで本当に神のようであるという風に
現地人の前では振る舞っていたはずです。それにより現地人達の心を掴み、意のままに操るようになった
そしてそうする事によって、カーツの所属する会社としても、カーツがモリモリと業績を上げる
まぁ早い話、象牙を大量に集めてきてくれるので、カーツを好きにさせていたのでしょう

ちなみに地獄の黙示録の生首やらしゃれこうべを並べたててあるシーンですが
これも原作に由来があります。
周囲の白人達はカーツのこのようなやり方を「気が狂った」「何考えてんだ?」と批判しますが
恐らくですが、このような残虐行為も黒人達を自分の意のままにするためには
効果的だったのではないのかと思われます。
よくよく考えると、映画にするに当たって自分達がコンゴの奥地に住んでいた
土人達と置き換えられてしまったベトナム人は怒っていいような気がしますが、まぁそういう感じなんですね

そんなこんなでカーツはモリモリと業績を上げ、出世街道まっしぐら…
といったところでやはり落とし穴が待っています

まぁ早い話、現地の白人達ってのは当然腐っている訳で、カーツの業績を認めなかった訳ですね
この辺りは地獄の黙示録のカーツとも共通する部分で、ようは周囲の人間の欺瞞やら謀略によって
誰よりも成果を上げているはずの自分が望んでいる方向に物事が進んでいかなくなってしまった
自分の業績、功績が不当に軽んじられている。そして奴等は何もせず
俺が出した利益のおこぼれに預かっているだけじゃねぇか!

許せん!

という感じで映画版はまぁ先程説明した通りの感じになっていく訳ですが
小説版のカーツはより独裁的になっていきます。そしてそれを止めようとする人間は誰もいない
映画版の比較でいうと、小説版のカーツは真剣に神になろうとしていたと思われます

そんな折にカーツは病気になってしまい、かなり状態が悪い、余命いくばくも無い…みたいな事になってしまいます
カーツの周囲を固めていた人達は、本当にカーツを神のように祭り上げていますが
それ以外のビジネスパーソンは冷たいものです「象牙だけ残して死んでくれていいよ」って訳ですね
それが許せないカーツは死の間際で身が引き裂かれんばかりの苦悩に苛まれますが
結局は医者に見せるために、コンゴの川を下り始めた辺りで死んでしまう事になります
かくしてカーツという稀代の天才が築き上げた王国は終焉を迎えました

っていうのがザックリとした闇の奥の内容でしょうか。

200P弱の短い話なんですが、まぁなんというか読んでて結構キツかったですね
まず映画版のカーツが何だってこんなに尊敬されているのか分からないって部分ですけど
小説版のカーツはもっとよく分からなかったりしますからね。ハッキリ言って殆ど登場しませんし
ただ単純に「象牙で周囲の稼がせた凄腕ビジネスマン」って事でいいんでしょうかね

映画の補完になる部分ってのも特に無かったように感じますし
何より主人公のマーロンという男の独白でこの物語は進んでいくんですが
このマーロンという男も、いつしかカーツに対して心酔しきっているみたいになってしまって
正直読んでて共感出来ないんですよね。何を思えばいいんだ?って感じで
いったいいつそんな感じになるタイミングがあったんだ?っていう

そういう意味では地獄の黙示録ではしっかりと人物の対比なんかも描かれていましたし
ドラマとしてもちゃんとしてたなぁ…って感じで
悪辣な白人達による植民地支配の形態の一つに、こういった感じのものがあった、という

カーゴ・カルトってのがありますけど、それと似たような形態の話、奇怪な白人酋長作品
ってくらいでしか無いように僕は読んでて思ってしまいました

まぁとはいえ、仮にそうであったとしても、この小説が地獄の黙示録になった、というのは
動かすことの無い事実であり、それだけで読んでみる価値はあるのでしょう、ってところでしょうかね
興味ある方は是非、闇の奥、読んでみて下さい。

という事で今回はこの辺で。ありがとうございました。


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