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情景86.「夜陰の風」【掌編小説 at カクヨム】

今回ご紹介する掌編小説は、カクヨム投稿の『あなたが見た情景』から「夜陰の風」です。

季節の移り変わりを肌で感じ取ること。
時を忘れ、ひとり過ごしているときにふと、気づいたもの。
私はこういう過ごし方が結構好きなのですが、ヒトによっては退屈なのかも?

私の擦り切れ愛読書の中で、司馬遼太郎御大のエッセイ集以下、無用のことながらという一冊があります。

擦り切れ愛読書って何かって?
そりゃあ、擦り切れるほど読み込んだ書物のことですよ。

実際、繰り返し読み、付箋も張り、マーカーだって引いちゃって、そんな風に読み込んでいました。

つねに携行していることもあり、カバーはとっくに紛失、裏表紙は擦り切れて分裂、ページはヨレヨレでマーカーと付箋の痕跡びっしりと……そんな擦り切れ愛読状況でございます。

ちなみに裏表紙はマスキングテープで補修し、今も携行しているありさま。

なぜ急に司馬遼太郎のエッセイの話かというと、そこに掲載されている『不滅について』と、『私事のみを』にある「作家は割符を書く」のくだりに記された「割符」の信条もとい心情に感銘を受け、それが書き続けるにあたってのメンタルの下支えのようになっているというのを、あらためて思い出したからです。

ひろい世間だから、自分とおなじ周波数をもった人が二、三千人はいるだろう

司馬遼太郎『私事のみを』

 花岡さんはその時、
「私の中にいる一人の少年だけが読者です。その読者のためにのみ書いているのです」
 といわれました。
「そういう少年が、現実にいるでしょうか」
 と問いますと、
「いると思って書いているのです」
 とおっしゃったのです。まことに心に刻まれるようなことばでございました。

司馬遼太郎『不滅について』

司馬遼太郎の時代小説はもちろん大好きなのですが、それと同じくらいこの方のエッセイに私は心をひかれます。

気の合う誰かがいてくれるだろう。
世界は広いのだから。
そう思って、書いている。

私の場合、万人に受けるために書きはじめたわけではありません。
情景描写と余情表現を突き詰めたいのですから、なおさらです。
ただ、世界は広いのだから、似たような“好き”を抱える人も、いるのかもしれません。

キャンバスに描くように、ありようを通じて瑞々しい情感に触れられる文章を書いてみたくて、たまたまそれに触れた誰かから「あァ、いいね」と言っていただけたら、私はそれだけでとても嬉しい。そういう類のものです。

……紹介記事としてブレてないかな? 大丈夫かな。
私が司馬遼太郎のエッセイ好きですって情報しか書けてなくないかな?

と、つらつらと語ってしまったのですが、あらためて、なぜ急に司馬遼太郎のエッセイの話をはじめたのかと言うと、この夜陰の風という掌編が……手クセで書いたとまでは言いませんが……私がとりあえず「こういう空間が好きだなァ」と思える要素がなにかと詰まっているのです。

網戸越しの風とか。
触れる陽の温かみとか。
暮れゆくはざまの時間帯で、静けさに浸ることとか。

あっ。
雨だれを眺めていた午前中、耳に流れ込むピアノの音とかも好きですね。

手クセで書くって、イイことばかりじゃないんですよ。なにせ、私が手クセで地の文を書くと、同じような情景ばかりになっちゃいますからね。

ともあれ。
肌にしみる夜風の情景。
お楽しみください。


あなたが見た情景』は、目の前の景色を眺めるように情景を思い描ける、ちょっとしたお話のあつまりです。

どこからでも何話からでも好きなところから読みはじめて大丈夫。
気になったタイトルをひらいてみてください。



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