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5日後に復職する女。

適応障害と診断された25歳女の復職が決定した。
復職か、転職か、はたまた退職後ニートか、そんな女の行く末の記録である。


忍耐期(2023年7月~2024年1月頃)

適応障害の原因は主に3要素ある。

・上司の急逝
・飼い猫の死亡
・母のうつ状態

これらが2023年7月頃に全て重なった出来事である。


上司の急逝

夏の暑い日、上司が亡くなった。
あまりにも突然だったため、社葬の準備に追われていたが、
社葬が無事終了すると、今度は彼がひとりで抱えていた業務がこっちに回ってきた。当時入社半年ほどの私には明らかにキャパオーバーだった。

でもそれを私は顔に出さない。言わない。皆も大変なの知ってるから。


飼い猫の死亡

上司の急逝と同タイミングで飼い猫2匹(1匹は心臓病、もう1匹は糖尿病)が瀕死に陥る。先に瀕死状態だった糖尿病の子を助けるようにして、心臓病の子がほどなく息を引き取った。
上司の社葬で疲れていたため、面会に行かなかった私は、最期の挨拶もできずしてお別れすることになる。

一生の後悔だ。


母のうつ状態

以降、糖尿病の猫は血糖値がなかなか安定しなかった。

分刻みで値をチェックし、一喜一憂する日々。深夜も然りだ。
ある時は深夜3時に低血糖値になり救急病院に行った。深夜3時に。
そんな生活を続けていれば、誰より一緒にいる時間が長い母がうつ状態になるのは、時間の問題だった。

母の前でネガティブなワードは出さない。
雰囲気を良くするよう最大限務めた。
母の方が大変なの知ってるから。

自分を殺して。



休職期(2024年2月~4月)

上記のような生活を約半年続けていくと、心が悲鳴を上げ始める。
勝手に涙が溢れてくる。自分にはもう出来ないと何度も思っていた。

そんな中、職場の同じ部署に新人さんが入ってきた。
いわゆる直属の後輩であるため、私は新人教育を任された。

そこで今まで張りつめていた糸がプツリと切れた。
もう出来ないと。

自分の代わりが入ってきたから、
もう休んでいいんじゃないのという声が聞こえてきた。
その声に従い、次の日に精神科行き、適応障害の診断書をもらい、
3カ月の休職。



まとめ

今回は自分が休職に至った経緯について、話した。
果たして復職できるのだろうか、また今度。




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