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ジル・ドゥルーズ 『 差異と反復』  差異の理念的総合(3)読書メモ

第四章 差異の理念的総合


諸 構造 ─ ─ それら の 基準、 諸《 理念》 の タイプ


・第一の例、物理学的《 理念》としての原子論。
古代の原子論は、パルメニデス 的 な 存在 を 多様化 し た だけの もの では ない。 その 原子論 は、 諸《 理念》 を、 原子 という 多様 体 と みなし た のである。この場合、原子とは、思考の客観的なエレメントである。

それゆえ、重要な点は、感覚されうる合成体のなかで現実化されるひとつの構造のただなかで、原子と原子が関係し合うということにある。

・エピクロス の 原子 は、 依然として 過剰 な 独立 性 を 維持 し て いる。 そこ には、 形態 と 現実性 が ある というということだ。エピクロスの原子における相互規定は、依然として、時ー空連関という面が強すぎる。

では、現代の原子論がそれとは違って構造の諸条件をすべて満たしているか否かという問いは、自然法則を規定する微分方程式に応じて、また諸粒子間に設定される「多様で局所化されえない連結」のもろもろのタイプに応じて、さらに、それら粒子にはっきりと認められる「ポテンシャリティ」という特徴に応じて立てられなければならないのである。

・第二の例、生物学的《 理念》としての有機体
ジョフロワ・サンティレール は、 形状 や 機能 に 依存 し て い ない と みなさ れる 諸要素の考察の必要性を最初に主張した人物であるように思われる。彼は、それを抽象的な要素と呼んでいる。

彼が、先人のみならず同時代人たち(たとえばキュヴィエ)に対しても、諸差異と諸類似の経験的な割りふりの段階にとどまっているのでないかと非難した理由は、そこにあるのだ。

彼によれば、純粋に 解剖学 的 で 原子 的 な 諸 要素、 たとえば もろもろ の 小骨 は、 相互 規定 の いくつ かの イデア 的 な 関係 = 比 によって 結合 さ れ て いる。したがってもろもろの小骨は、言わば即自的《動物》であるようなひとつの「本質」を構成している。

各種の動物的な形状や各種の器官やそれらの機能において具現されるのは、まさしく、純粋 に 解剖学 的 な 諸 要素 間 の そうした 差異 的 = 微分 的 な 関係 = 比 で ある。解剖学 の 三重 の 特徴 は、〈 原子 的 な〉、〈 比較 上 の〉、〈 超越 的 な〉 という ことである。


・第三の例、ひとつのマルクス主義的な意味からして、社会的諸《理念》は存在するのか?

マルクス が「 抽象的 労働」 と 呼ぶ もの において、 労働 生産 物 が 一定 の 質 を もつ という こと、 ならびに 労働者 たち が 一定の質をもつということは捨象されているが、ひとつの社会における生産性の条件や、労働力や労働手段は捨象されていない。

社会的《理念》とは、社会に関する質化可能性、量化可能性、およびポテンシャリティというエレメントである。この《理念》は、理念的な多様な諸連結のシステム、あるいは差異的=微分的な諸要素間の差異的=微分的な諸関係=比のシステムである。

この よう な 諸 関係 = 比 は、 もろもろ の 具体的 な 人間 の あい だに では なく、 労働力 の 担い手もしくは所有の代理としての諸原子のあいだに打ち立てられるような、生産関係と所有関係である。

経済 は、 その よう な 社会的 多様 体〔《 理念》〕 によって、すなわち。差異的=微分的な諸関係=比の変化性によって構成されるのである。


・要するに経済とは、社会的弁証法そのものであり、換言すれば、規定の社会について立てられる諸問題の総体、あるいは既定の社会についての総合的かつ問題提起的な場である。

厳密な見方をすれば、たとえ社会的問題の解が、法的、政治的、イデオロギー的であろうと、また社会的問題が、それらの解決可能性の場においてもまた表現されることがあろうと、いずれにせよ社会問題は、経済呈な問題としてしか存在しないのである。


・諸《 理念》 は、 共存 的 複合 で ある。 諸《 理念》 の すべて が、 或 る 一定 の 仕方 で 共存 し て いる。 ただし、 自然 の 光 の 一様 性 などは まったく もた ない 微光のもとで、そこここの縁で、いくつもの点によって、共存している。


・《理念》 は、 断じて 本質 では ない。《 理念》 の 対象 で ある かぎり での 問題 は、 定理 的 な 本質 の 近く に ある と いう より むしろ、 出来事 の、 変状 の、 偶有性 の 近くにある。

《理念》 は、その総合的な力能の真価を示す〈体の添加〉のなかで、補助方程式のなかでおのれを展開する。したがって《理念》 の領域は、非本質的な領域である。


・温度に関する様々な臨界点、たとえば、融点、氷点、沸点、凝縮点、擬固、結晶点があるように、出来事 の 様々 な 臨界点 が ある。 そして 出来事 の うち には さらに、 未来 の 出来事 の 破片 が 入り込ま なけれ ば、 沈澱 する こと も 結晶 する こと も、 つまり決定されることもないあの過融解の諸状態があるのだ。

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