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癌になった宗教2世の母を坊主にした話

8月も終盤に差し掛かり、コロナと生き別れの父からの手紙に右往左往していた私は、母に約2週間ぶりに会うことになった。

この2週間、コロナの後遺症なのか倦怠感が残り、体力を回復させながら生き別れの父と会った時のことを考えていた。

(会う流れになった話はこちら)

万が一、コロナを母に移してしまったら、免疫力絶賛低下中、且つ糖尿を患ってた母は完全にアウトになってしまう為、会うのをお互い控え、毎日、生存確認だけは連絡を取り合いながらしているそんな日々だった。

娘の私がコロナと実父からの手紙にひいひい言ってる中、母は2回目の抗がん剤治療を終えていた。経過は順調。
1回目の抗がん剤治療で乳房にあったしこりは、ひと回りもふた回りも小さくなり、先生からも褒められる程だったという。
https://note.com/embed/notes/n1b497e041765(抗がん剤1回目の話はこちら)

しかし、2回目の治療から数日、抗がん剤の効果で吐き気に襲われ、数日間、母は寝たきりだったという。そんな中chu♡コロナになってごめん!と思いつつ、食欲はあった様でそこは安心する。
ご飯は食べれるが吐き気止めを飲まないとダメそんな日々を母は過ごしてた。

そして、遂に髪の毛が抜け始めた。

元々、抗がん剤治療が始まる時に髪が抜ける覚悟をし、元々長かった髪をベリーショートにし、「髪が抜け始めたら、一度はやりたかった坊主にするんだ!」と意気込んでいた。なんなら少し嬉しそうにそう語っていた。私も一時期坊主にしたいと思っていたが、血は争えない。
そんな話を思い出しながら、母から髪の毛が抜け始めだことを電話で聞いた。
母は笑いながら「今ねハゲチャビンなのよ〜本当にね、バーコードよ!バーコード!」とトレンディエンジェルにも負けないくらい、自分の頭をネタにして笑っていた。

「でもね、やっぱり髪の毛洗うと抜けちゃからさ、あんたが落ち着いたらバリカンでマルガリータにしに来て!」
マルガリータに若干の古さを感じつつ、コロナの倦怠感も落ち着いていた私は、次の休みの日に母の髪の毛を剃る約束をした。


そして、コロナの症状も落ち着き久々に会った8月21日

私を笑顔で出迎えた母は頭にバンダナを巻いていて、なんだか少しほっそりとしていた。祖母の月命日ということで祖母の好きだったさつまいもを買って行ってあげると、母は喜び、早速仏壇に報告していた。

会って早々母は笑顔で見て見て〜と言って、バンダナを外すと母の髪の毛は相当抜け落ち、ところどころハゲていて、頭皮が見えていて、まるでハゲタカの様な落武者の様な姿に衝撃を受けた。「面白いでしょ」と母は笑うが、あまりにも衝撃的な姿に当の本人よりも私がショックを受けてしまった。

美容師だった祖母の血を受け継ぎ、あんなに髪の毛に気を使い、人一倍オシャレをしていた母。
そんな母の見るも無惨な姿を見て私は何も言えなくなってしまった。

「こんなになっちゃって…」
と絞り出した様に言うと母は「これをね毎日写真撮って、姉と妹(私の叔母)や友達に送ってみんなで笑って面白いよね!とネタにしてるのよ〜」
と笑って言う。頭おかしいだろ。実の娘の私でも衝撃的なのに他人からしたらもっと衝撃的だろうに…
でもネタにしなきゃやってられないのかななんて思ったら、「早く丸刈りした姿みせろ!なんて言われてさ〜私も早くしたいのよ!」なんて素で言うから、やっぱりみんな頭がおかしいと思った。


風呂場に行って新聞紙を敷き、母を椅子に座らせて、バリカンを当てていく。
「まるで出家ね」
クスクス笑いながら言う母はワクワクしていて、母の白髪が混じったその頭を丁寧に丁寧に刈っていった。

すると母は父のことを話し出した。
「お父さん、距離近かったでしょ〜」
なんて言い出す。
あの手紙を読み、30年会ってない父の距離感のバグに戸惑ってた私は、母からの言葉に驚く
「あの人ね、あんたに似て好きなものには熱中するからね、距離感掴むのが下手なのよ。だから、最初、皆びっくりするのよね」
通りで…と思いながら私もびっくりしたよと言うと母はクスクス笑いながら、
「でも人一倍あの人は弱い人だから、優しくしてあげて。あんたとそっくりよ」なんて言った。

距離感バグ親父と似てるのか…と若干のショックを受けつつ、それから母と父が離婚した経緯を改めて聞かされて、(ここは後日どこかで記事にします)父と母が別れたこと、そして30年連絡を取らなかったこと、全てにおいてそれは私の為である事を改めて知った。

髪の毛をある程度剃ったところで、母が「でもお父さんと会えることになってよかった」
と言いそして、
「お母さんもこんななっちゃっていつどうなるか分からないから、さばのに血の繋がった人はお父さんだけでしょ?だから、お父さんの姓に変えてもいいと思うの」
なんて言い出した。
母からそんな言葉が出ると思わず口をつぐんでしまう。

「さばのにはお金のことや色んなことで苦労かけて、夢を奪ってしまったから、お父さんのところに行けば幸せになれると思うのよね」
「昔だったら絶対嫌だったけど、今私がこうなったから、それもいいと思ったのよ」
と続けて母が言うから、ああ、なんでこの人は身勝手なんだろうと思った。

私が10代だったらいざ知らず、私はもう30歳なのだ。
30歳で今更、30年間会ってない父の姓なんて名乗れる訳はない。
例え母が亡くなったとしても、親族が宗教をしてても、私を一生懸命育ててくれた母や叔母や叔父、いとこ達のことを考えてしまう。
あれだけ嫌いだったこの家系に逃げられない呪いをかけたのはそっちなのだ。
それに今更、10代で出来なかったことをするには体力も気力も使うのだ。
なのにそんな言葉を言うなんでなんて残酷なんだろうと思った。

母の言葉に何も言えずただ一言「それはしないから」としか言えなかった。


母の髪を全て剃り、鏡を見た母はうれしそうに「瀬戸内寂聴じゃ〜ん」と言った。
小顔な母は意外にも坊主が似合っており、悟りを開いたかの様に坊主姿の自分を受けいれていた。本当に出家したのかも知れない。

「加工アプリで写真を撮って!」と女子高生みたいに言う母の写真を撮ってあげる。叔母達に写真を送り楽しそうに「本当にさっぱりした!」と言った。

その後、職場復帰の際につけていくウィッグをセットしてあげて、初のウィッグに苦戦しながらも、ウィッグをつけた母は嬉しそうにしていて、「普段はターバンに大きいイヤリングして、MISIAになり切るわ!ウィッグに慣れたらこのロングウィッグ買うの」なんて、カタログを見ながら母は嬉しそうに語っていた。


母の家を後にしてポツポツと夕暮れで染まる帰路に着くとなんだか胸が切なくなっていた。

あんだけ一人娘の私に長年固執してた母からあんな言葉が出たこと、髪の毛もそうだ。前までの母だったら、自分の髪を見て泣き崩れてただろうに。
まるで憑き物が髪の毛と一緒に落ちたように本当に悟りを開いたかのごとく、母が変わってしまったと思った。
そして、同時にあれだけ憎んでた母に対する私も母に固執してたことに気づいて、胸の奥が苦しくなった。

本当に病気で人は変わる。

それは躁鬱になった私もそうだったからわかるんだけど、なんか言葉に言い表せない感情を消すかの様にイヤホンから藤井風の帰ろうが流れる。

憎しみ合いの果てに何が生まれるの
ああ、今日からどう生きてこう

そう問う彼の歌を聴きながら、私は沈む夕陽をただ見てた。

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