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【連載小説】黒き夢みし vol.18

 ドアが開いて坊主頭の眼鏡の男が顔を出した。少し前に帰ったはずのシャドウだ。明彦は緊張が走った。
「何かありましたか?」
「ああ、そこでばったり会ったから紹介しようかなと」
 シャドウの後から小柄で痩せた男が入ってきた。肩に革製のトートバックをかけて、黒いポロシャツににカーキのズボンと革靴を合わせている。ほぼ人に会わない夜勤なのに革靴を履いていることが印象に残った。
「どうもはじめまして」
 その男はゆっくりとした動作で一礼した。年齢はおそらく三十歳前後に見える。髪は毛量が多くて癖毛のようにカールしている。長い髪の間から鋭い目がのぞいている。
 シャドウは明彦にその男を紹介した。
「この人は何でも知ってる。いろいろ教えてもらうといいよ」
「いやいや……」
 男は謙遜するように小さな声で言った。シャドウは紹介だけすると帰っていった。途中で会ったからとはいえ、わざわざシャドウがオフィスに戻ってくるからには特別なものがあるのだろう。明彦はその男を注意して見ることにした。その男はくたびれたような雰囲気ではあるが、それが格好良く見えた。見た目と雰囲気がルパン三世に出てくる次元大介のようだったので、次元と呼ぶことにした。
 次元はゆっくりとした動作でトートバッグをデスクの隣に置き、椅子に座った。カタカタと小気味の良い音をたてて、キーボードを叩き、パソコンを操作する。
「昨日の夜勤は大変だったみたいですね……」
 次元は小さな声を言った。オフィスに来る途中でシャドウに聞いたのだろう。
「はい、てんてこ舞いでした」
「初日からそれは大変でしたねえ」
 次元の話すペースはゆっくりしており、時の流れが緩やかになったように感じる。急かすようなプレッシャーを与えてくるシャドウとは逆だ。
「僕は夜勤が三日ぶりなので、溜まっているメールがたくさんあると思うから、ちょっとそれを読んでますね」
「あ、はい、分かりまいた」
 明彦は邪魔してはいけないと思ったので話しかけるのをやめた。次元はそう言ってメーラーを立ち上げた。明彦も今日分のメールを読んでいない。昨日の電源障害に関連するメールのやりとりが日中もいくつか流れていた。データセンター側がその他のラックの電源の調査をすること、データセンターを利用している顧客に対する説明など、主に今後の対応に関するものだった。データセンターの内容を受けて、タヌキ部長からも顧客に対してメールが出ていた。一度障害が発生すると復旧して終わりではなく、事後対応がかなり発生するのだと思った。

 十分ほど過ぎた頃、カタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。次元がキーボードを叩いている。三日分のメールをもう読み終わったのだろうか、デスクトップ上のメーラーは最小化されており、代わりに黒いターミナル画面が表示されて、そこにコマンドを入力しているようだ。

 明彦はいったい次元が何をしているのか分からない。ただ次元のコマンド操作は思わず見惚れるような速さのコマンド操作だった。まるで海外の有名なギタリストが難しいフレーズを速弾き想起させる。エレキギターの弦に指が吸いつくようなタッピングを見たことがあるがそれと同じだ。次元の指はキーボードに吸いつくように高速のタイピングによって何かのコマンド操作をしている。

 さらに十分ほど過ぎたとき、次元はキーボードの操作をやめて、立ち上がった。
「ちょっとコーヒーを買ってきますね」
 次元はお尻のポケットに手をつっこんで、オフィスから出て行った。オフィスにひとりになった時、気になったので明彦は次元のモニターを覗き込んだ。
「ん?!」
 明彦は思わず驚きが口に出た。誰もいないのに黒いターミナル画面に勝手に文字列が表示されて、コマンド操作が実行されているのだ。
 明彦は思わず、自分が何か変なボタンを押してしまったのでないかと思ったが、何も触ってはない。何かをインストールした時は勝手に処理の流るのだが、今回はそれとは違う。誰かが操作しているようなコマンド操作が勝手に行われているのだ。リモートでハッキングされているように見えた。これは大丈夫なんだろうか。
 その不思議な現象はその後も続く、膨大な文字列が表示され、どんどん処理が進んでいく。明彦は訳がわからず、その画面を見つめていた。
 ドアが開き、次元がオフィスに戻ってきた。手に紙カップのコーヒーを持っている。明彦はモニターを覗き込んでいる様子を見た。
「これは何を……?」
「いや、まあ。もうちょっとで終わるかな」
 次元が自席に戻り、コーヒーに口をつけながら、ターミナル画面の処理を眺めている。やがて程なくして処理が終わった。
「いない間に勝手に動いていたんですけど」
「このサーバはスペックが低いからねえ。仕方ないね」
 次元は言った。明彦は少し考えた。

「もしかして処理落ちですか?」
 次元は黙ったまま頷いた。明彦は驚いた。次元の高速且つ正確無比なタイピングによるコマンド操作によって、サーバの処理が追いつかなかったのだ。勝手に動いていると思ったターミナル画面のコマンド操作は次元がオフィスを出るまでに入力していた大量のコマンドだったのだ。
「サーバが追いつかないぐらいのコマンドを入力していたんですか」
「まあ」
「コマンド実行量とサーバの処理速度を計算してコーヒーを書いて行ったというわけですね?」
 明彦は興奮していた。次元は恥ずかしそうに俯きながら頷いた。どうもシャイな性格ようだ。
「結局これは何の操作だったんですかね」
「ものづくりかな」
 一体何を作っているのか。次元は紙カップのコーヒーに口をつけた。このオフィスで紙カップのコーヒーを飲んでいる人を見るのが初めてだっだ。
「そのコーヒーはどこで売っているんですか?」
「隣のビルの一階の受付に売ってるよ」
「このビルじゃないんですか?」
「このビルは缶コーヒーしか売ってないからね」
「こだわりがあるんですね。どういうのが好きなんですか」
 次元は時間をおいて少し考えている素振りを見せた。
「そんなにこだわりがあるわけじゃないけど、よく行く喫茶店の豆はベリー系で好きかな」
「ベリー?」
「それはブラックの中にも甘みがあって、フローラルなんだよね」
 明彦には次元が何を言ってるのか分からなかった。ベリーとは何か、フローラルとは何か。知らない言葉が多すぎて何を質問していいのか分からない。もしかすると一般常識なのかもしれない。明彦が黙っていると次元が言った。
「コーヒーが好きなら今度持ってきてあげるよ」
 次元からは学ぶことが多そうだ。

 夜勤中、次元はほぼ高速タイピングによるコマンド操作をしていた。その間、眠たそうな素振りを見せることもなく、マルオのように娯楽に勤しむこともなく、冷静に何かものづくりをしていた。
 深夜二時をすぎた頃、次元が手を止めて少し伸びをした。それを見計らって明彦は話しかけた。
「今日アラート起きないですね」
「起きかけてはいるみたいだけどね」
「どういうことですか」
 次元はモニターに監視システム画面を表示された。アラートが発生するときは、設定されたアラート判定に引っかかったときだ。例えば一分ごとの通信確認の時に、五回連続で反応がないとアラートが発生といった具合だ。
「アラートが発生してから対応しても遅いからね。発生する前に未然に防げたらいいなと思って、いろいろ検証しているんだよね」
「高速でタイピングしてたことが関係あります?」
「そうだね。試作中だけど監視ツールを作っている」
「監視ツール? この会社で使っている監視ツールとは別のものですか?」
「そう。自分で作った新しい監視ツールなんだけど、予兆を検知して未然に対応できるなら対応できるようなものがいいなって。まあ結局は仕事したくない怠け者なんだけどね」
 次元は口元に笑みを浮かべた。
「それはハイレベルな怠け者ですね……」
シャドウが次元に一目おくのも頷ける。明彦は感嘆混じりのため息が出た。こういう人がイノベーションを起こすに違いない。
「ちょっといろいろ教えてほしいです!」
 明彦は頭を下げてお願いした。次元は照れながらどうしようかなという素振りを見せた。


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