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宣伝も自分でやらなきゃね


ライブ本番で着るTシャツのデザインも自分でやったけど、その他にもライブに向けてやることがたくさんある。なんと言ったって弾き語りは一人なので、何から何まで自分でやるしかない。

ライブをやろうと決めて、早い段階で手を付けたのは、会場となるDOMAに貼ってもらうポスターと、知り合いに手渡しするチラシ作りだった。チラシの語源は「散らし」であるという。発信者の元から、情報が散り散りに拡散されていくと考えれば体裁はいいけれど、誰にも読まれず紙切れが散らばっていく様子を考えると、ちょっと切なくなる。

いつからか、チラシは「フライヤー」と呼ばれることも多くなった。かつてアメリカでは、飛行機で上空から広告物をばらまいて宣伝した時代があり、そのときに「FLYER(飛ぶもの)」という名前が付いたとのこと。いまでは飛行機からのばらまきは法律で禁止されているそう。そりゃそうだ。

ライブのチラシを作るのは、昔から好きだった。20代の頃、バンドのライブスケジュールを印刷したチラシは率先して自分が作っていた。ライブ本番や作曲と並ぶくらい、デザイン作業が好きだ。高校卒業後に行ったマスコミ系の専門学校で広告表現を学び、1年間だけデザイン会社で働いていたのでズブの素人ではないけれど、コピーライティングや企画を担当だったので、自分が手掛けるデザインはあくまでも自己流のお遊び。会社を辞めてバンドでプロを目指していた時期に、自宅パソコンの編集ソフトを使ってこそこそと数をこなしているうちに、なんとなくできるようになっていった。

ロックバンドのチラシなら、どんな風に作ればいいか、自分流のノウハウがある。だが、弾き語りライブのチラシを作るのはこれが初めてだ。どんなデザインがいのか、まったくイメージがわかなかった。しかし、最近は便利なもので、「弾き語り ライブ チラシ」「フォークソング チラシ」などのキーワードで、インターネットを使って画像検索すると、いろんなデザインのチラシが出てくる。キーワードを変えて検索を重ね、やがて「なるほど、こういう感じか」と、参考になるデザインがいくつか見つかり、方向性は定まった。

しかし困ったことに、デザインに使える素材が何もない。まだ一度もライブをやっていないので、演奏シーンの写真もない。困った。自分の写真フォルダを探しまくって、ようやく見つけたのが今回チラシに使ったアコギの弦交換をしている場面の写真だった。たぶん10年近く前の写真。撮影場所は改装前の今とは趣が違うDOMAである。ギター初心者の友人から「アコギの弦交換のやり方を教えてほしい」と頼まれたときのワンカットだ。

△ 完成したライブチラシ、大好きな「青色」を基調にまとめてみた

画像処理ソフトをゴニョゴニョやって、頭のなかで思い描いた通りのデザインを仕上げていく。ポスターはA4サイズ。チラシはポスターをA5サイズに縮小し、A3に4面付けしたデータを作る。これをUSBメモリーに保存してコンビニに持ち込んでコピー機でカラー印刷する。家に帰ってきて、A3に印刷したチラシをカッターナイフで切り分けていく。手作業につぐ手作業。嫌いな人にとっては面倒で仕方ないかもしれないけれど、自分のライブの準備だと思うとまったく苦にならない。むしろ、コピー中や裁断中にワクワクが膨らんでいく。

作ったチラシは20枚。作りすぎてゴミになるのは心苦しいし、見知った相手に手渡しするだけなので、この枚数で大丈夫。いまは、チラシのデジタルデータをLINEやSNSで拡散できるので、リアルな印刷物の出番は多くない。でも、頭の中でイメージしたものが、実際に手に取れる形になるのが楽しい。そこにある感触や温度。連絡先を知らないレベルの「はじめまして、これからよろしく」な相手でも、チラシを渡すことがきっかけになって話がはずんだりもする。チラシとはそういうアイテムだ。


宣伝用の動画も作った。自分の演奏の仕上がり具合を確認するためにスマホで撮った練習映像を素材にして、パソコンの動画編集ソフトでつなぎ合わせ、ライブ情報のテロップを入れて仕上げた。今回のライブを準備する期間に、パソコンを5年ぶりに新調したこともあって、仕事の必要なデータの移し替えや、よく使うソフトの動作確認をしていたので、その一環として宣伝用動画を編集してみたのだ。

練習時のいいとこどりをした約60秒の動画。どことなく、少年時代にテレビ神奈川で見かけたよく知らないアーティストのライブ告知CMにテイストが似ている。というか、あえて寄せて作ってみた。YouTubeにアップしたのちに、SNSにも投稿した。「いいね」してもらった数と、動画の再生数が釣り合わない。みんな「いいね」だけして、動画は見てくれるわけじゃないのは経験上分かっていた。まぁ、そんなもんだ。

曲を作り、練習もして、チラシを作って、宣伝動画も作って、こうしてnoteに文章も書いて。ライブで着るTシャツのデザインも考えて、必要なアイテムを買いに走り回ったりもした。「弾き語りライブをやる!」と決意しただけで、やることが一気に増えた。楽しい。充実している。他人から見たら「ごっこ遊び」みたいに見えるかもしれない。アーティストごっこ、ミュージシャンごっこ。そう思われて構わない。ごっこで何が悪い。こっちは打算抜きで真剣に遊んでいるのだ。

サンバチームの先輩メンバーから教わった「仕事は本気、遊びは死ぬ気」という名言がある。素晴らしい心意気だ、あやかりたい。自分のことを、身の回りの人たちにもっと知ってもらいたいから歌う。誰かに迷惑がかからない範囲で、思いついたことは全部やりたい。それだけだ。

いまから一年くらい前のこと。随分と長い間「こんなことをして何になるんだろう」みたいな思いに縛られ、面白そうな何かに出会っても気軽に動き出せなくなっていた自分に気が付いた。年齢を重ねたせいだからなのか、何をするにも打算がついて回る。「そういう生き方って退屈だよね」と、大好きな音楽や漫画、映画、小説などから教わってきたというのに。

以前は「弾き語りをやったところで、歌もアコギも上手くはないし、誰も聞いてくれやしないだろう。取り組んだとて、時間の無駄になるだろう」みたいなことを思っていた。でも、いろいろな刺激を受けるうちに「やってみようかな、いや、やらなきゃダメだな」と思えるようになっていった。損得は考えない。自分が培ってきた経験を注ぎ込んで、これまで一度もやったことがない「弾き語りライブ」に全力で挑戦するのが純粋に楽しい

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