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弾き語りライブの今後について、お客さんからアイデアをもらった

もう1か月以上前の話になってしまうが、人生初の弾き語りライブが終わってから「ドリンク一杯おごるので」という触れ込みで、都合のつくお客さんに残ってもらい「澤井一のライブを考えるシンポジウム」を開催した。DOMAのマスターでプロのパーカッション奏者でもある廣井さん、DOMAでマンスリーライブを展開している唄三線奏者でもある妻・まちゃをはじめ、「澤井一応援団」とも言えるような方々、総勢6名が参加してくださり、ライブの感想や、今後のライブをどう展開していくのがいいかに関するアイデアを語っていただいた。自分だけでは気づかない意見がたくさんあって、本当にいい時間になり、ものすごくありがたかった。


客席のレイアウトを変えて、中央のテーブルを囲むように、みんなで椅子に座った状態でシンポジウムがスタート。司会は私が自ら行った。

唐突に「今後どうすれば」と聞いても、意見を出しづらいだろうと思ったので、まずは「きょうのライブで印象に残った曲はありましたか」という質問をさせてもらった。「どの曲も印象に残らなかった」と言われる可能性もあり、作詞作曲も手掛けた演奏者本人としては、実は相当に緊張感のある質問である。

そんな不安があったなか、ありがたいことに「大和田橋を渡る」という曲は、全員から「良かった」と言ってもらえた。「俺は俺の歌を歌う」「きみのために僕は祈る」「笑っていよう」が印象に残ったと言ってくれる人もいたし、おまけとしてラストに披露したカバー曲「太陽おどり」も全体的に好評だった。

「大和田橋を渡る」は、演奏の前に中学・高校時代の自分のエピソードを語らせてもらった。なんとなく中学時代に自分を出せずにいた私が、高校では自分らしく過ごせた。高校への自転車通学で毎日のように渡っていた大和田橋のこちら側とあちら側。橋を渡った先に自分の世界が広がっている気がした……といった話と、そんな思いを込めて作った曲を評価してもらえたことがシンプルにうれしい。

結果として、絵空事や他人の経験よりも、自分自身の経験を歌った曲は強いのだと思う。作品の背景にあるエピソードも含めた世界観の濃さ、その世界観を届けようとする曲間のトークなど、弾き語りライブにおいてはそういった工夫がものをいうのだと勉強になった。

「俺は俺の歌を歌う」「きみのために僕は祈る」「笑っていよう」にも、自分の思いや信念が詰まっている。ただ「大和田橋を渡る」に比べると、体験を伴うドラマ性が薄い。詰め込んだ思いを、ライブ本番でどう表現していくのか、その工夫次第でさらに強い曲にできる気がした。

「太陽おどり」は、八王子市民に愛されるご当地お祭りソングで、サビに入る「はぁっ」のかけ声も盛り上がる。知っている人にとっては「待ってました」感もあるため、自然と手拍子が起こり、歌い出すと会場の空気が「パッ」と変わるのが分かった。「太陽おどり」のような「空気を変えられる曲」をどれだけ作れるかは今後の課題である。

また、八王子生まれ・八王子育ちの私にとっても、ご当地ソングは思い入れが強く、自分の血肉になっている感覚もあるため、シンプルに歌いやすい。「大和田橋を渡る」も行ってみればご当地ソングなわけだが、あと数曲、地元にまつわる曲を増やしてみるのもいいかもしれない。


印象に残った曲について語っていただいた後、いよいよシンポジウムは重要なパートに入っていく。私からは「宣伝マンになったつもりで澤井一の弾き語りライブを友人知人に広めるなら、どんなうたい文句がいいと思うか」「澤井一の弾き語りライブをよくするために何を望みますか」という2つの質問を投げかけた。発言があった順に書きとめていくと、話がいったりきたりしそうなので、2つの質問によって、どんな気づきがあったのかを総括的に書かせてもらう。

ある参加者から「手拍子をしていいのか、じっくり聞いた方がいいのか。曲によって『よかったら手拍子をお願いします』みたいな声かけがあるといいかも」という声があった。これは確かにその通りだ。何者かもわからないおっさんが、何を歌い出すやらわかったもんじゃない弾き語りライブなので、曲の前に味わい方の方向性をひとこと語った方が、曲の伝わりやすさが変わり。ハードルが下がる。結果として手拍子してもらえればうれしいし、歌詞を届けたい曲は「次は静かな曲なので……」とMCで話せば、手拍子なしで聞いてもらえるだろう。ボーカルの後ろで弦楽器や打楽器をやってばかりの音楽人生だったので、演奏をちゃんと届けることばかりに気持ちが向いてしまう。

シンポジウムでは「DOMAは、ライブに行き慣れてない人でも参加しやすい雰囲気がある。そのことが宣伝文句になるのでは」という話も出ていた。自分自身が現場のホスト役として振る舞って、曲が届きやすい空気を作りだしていけば、もっといいライブにできるだろう。会場のDOMAは、20人も集まれば満員になるようなお店である。「きょうは友達を増やして帰ってください」のような、お客さん同士をつなぐMCもあってよかった。「手拍子をお願いします」の件もあわせて、次のライブではMCの方向性、質に気を使ってみよう。


「ライブの前や後に、店内で飲食ができるのもいいよね。知り合いを誘うときにアピールすると思う」との声もあった。DOMAは、不定休ながらライブのない日はカフェとして営業しているので、いわゆる普通のライブハウスよりはフードメニューがしっかりしている。この「利」を活用しない手はない。

ライブとシンポジウムを終えてから数日後に、Xでこんなリポストを目にした。投稿者さんが娘さんをサッカー観戦に連れていった時の逸話である。

まったくの見ず知らずの方の投稿だが、花より団子、サッカーよりかき氷な感じが実に正直で清々しい。投稿者さんは娘さんの真意を知って「トホホ」だったかもしれないけれど、かき氷目当てにサッカーを見に行くうちに、観戦の面白さに気づく日が来るかもしれない。興味がない人を呼び込むこと、ゼロをイチにするのはとても難しい。だからこそかき氷の力の偉大さに恐れ入る。

私のライブも、別に音楽を聞くのが1番の楽しみじゃなくていいし、なんなら「ご飯を食べに来たついで」みたいな感じで十分だ。そんな風に、見に来てくれる人の日常の一部になれるのだとしたら、むしろうれしい。

そんなわけで6月のライブは「晩ごはんのついでにライブを!」というコンセプトで、「フードメニュー・一品の半額おごります」という企画にさせてもらうことに。ライブタイトルには、DOMAのフードメニュー「タイカレーつけ麺」の名を冠させてもらった。

開場から本番スタートまでの時間を長く取り、また、ライブも25分×2本の2部制にして、インターバルを1時間設けて、本番を待つ間に食事をしてもらいやすいタイムテーブルにした。シンポジウムで出た話題に即レスしていくスタイル。われながら面白いアイデアだと思っているので、どんなライブになるのか反響が楽しみだ。

曜日と時間帯についても「ゴールデンウィーク中の土曜昼は、家族との用事があって来れない……という友達を誘えなかった」という声があったので、今度のライブは平日の夜にしてみた。澤井一ライブがどんなものかを少しずつ広めていくためには、いろんな曜日・時間帯でアピールを重ねていって、いつやることになっても、他の予定を差し置いて優先してもらえるような存在にならなければダメだ。道のりは長そうだけど。


シンポジウムのなかで「衣装はそれでいいのか」という話題も出た。今回は、私が活動してきたバンドのロゴをズラリと背中にプリントしたオリジナルデザインのTシャツを着たものの、確かに見た目はパッとしなかった。思いの強さや練り込んだコンセプトがあっても、見た目で印象を残せないのであれば失敗である。

「スタイリストをつけてみるのはどうか」「CHAT GPTを活用してコーディネートを考えて見ればどうか」などの意見もいただいた。だが、衣装に関しては、勉強も兼ねてもうしばらく地力で思考錯誤していこうと思っている。そういうつもりで、世の中を見ているといろいろな発見があるから楽しい。現時点でいくつか試したい方向性もある。

最適なファッションが見つかる頃には、自分の弾き語りライブのスタイルも固まっていくはず。いずれにしても、澤井一ライブの今後を考えて、忌憚ない意見を聞かせてもらえたことがとてもうれしい。


「カバー曲を増やしてみては?」「カバー曲の選曲について、一考の価値がありそう」という声もあった。5月4日のライブでは、泉谷しげるさんの「春夏秋冬」をカバーして披露させてもらった。「太陽おどり」もカバーなので、11曲中2曲がカバーだったことになる。

弾き語りにおいて私はシンガーソングライターである。それゆえに「オリジナル曲を作りたい、届けたい」という思いが強い。また一方では、世にある隠れた名曲を届けたい思いや、私自身のバックボーンとなっている曲を演奏することでパーソナリティを知ってもらい、オリジナル曲への興味につなげてもらいたくもある。オリジナル曲を聴いてもらうためにも、それなりの比率でカバー曲を演奏していくのは悪くない。

お客さんのなかには「知らない人の初めて聞くオリジナルよりも、知ってる曲のカバーのほうがいい」という人もいると思う。実際に、シンポジウムのなかでそういう声があった。でも、オリジナル曲を手掛けるミュージシャンとしては、オリジナル曲を多めに演奏したい。このあたりのさじ加減は、今後も自分本位にやっていこうと思っている。

「知っている曲を演奏してもらえると、そのミュージシャンの実力や味付けの仕方がわかる」という声もあった。確かに、知っている曲を演奏しているミュージシャンを見かけたら、アレンジや演奏技術を参考にして、私も値踏みしている。弾き語りライブにありがちなベタな選曲は避けた方がいいと思っていたけれど、あえてベタに行くことで個性をアピールできるのかもしれない。逆転の発想。とても参考になったし、今後の参考にさせてもらおうと思った。

ちなみに、シンポジウムに参加してくれたある人から「尾崎豊っぽさがあった」と言われた。尾崎豊さんは私のルーツをたどる上では欠かせない存在だ。しかしいつしか全然聞かなくなっていた。

真心ブラザーズは「拝啓。ジョン・レノン」という曲のなかで「ビートルズを聴かないことで何か新しいものを探そうとした」と歌っているわけだが、私も新しいものを探すために聞かなくなったミュージシャンが何人もいる。好きすぎて聞かない、好きすぎて聞けない、という感覚。好きなミュージシャンと似た曲を作りたくなるし、似てしまうくらいなら「作らなくていいや」という気持ちになっていまうので、オリジナル曲を作るようになってから、あえて避けるようになっていく。私にとって尾崎豊さんはそんなミュージシャンのひとりだ。

しかし、この機会に聞き返してみるのも良さそうだ。「カバーするとしたらどの曲がいいか」という視点で尾崎豊さんを聞いたことはないし、弾き語りをやると決めた上で聞くと、何かを学べるかもしれない。そう思って、ひと通り聞き返したところ、51歳のおっさんが歌って様になる曲がひとつもなかった。尾崎豊さんを好きな気持ちは再確認できたし、あの頃の熱い気持ちがよみがえりもしたのだが、好きな曲が歌い手にマッチするとは限らない。音楽とは因果なものだ。


込み入ったところでは「剥き出しの歌声が持つパワーを信じて、もっとシンプルな曲もつくってみては?」という提案もあった。無意識だったが、私はコード進行やメロディーラインに頼った曲作りをしている傾向がある。おそらく、歌とアコギに対する自信のなさの裏返し。弾き語りだからこそ、手の込んだアレンジの曲を用意して、「深み」を演出しなければいけないとも思い込んでいた。しかし、言われてみれば逆のアプローチも全然ありだ。うまい野菜なら、塩でもつけておけば十分うまい。

「もっと自分に酔ってもいいかもね」とも言われた。ベースや打楽器など、音楽の屋台骨を支える楽器のキャリアが長いせいで、「俺が俺が」と目立とうとする精神が私には欠如している。フロントマンの役割は、華のあるメンバーに任せてきた。でも、弾き語りのステージには自分ひとりしかいない。見ている人が引くぐらいに「俺ってサイコー」的なパフォーマンスをするべきなのだろう。

誰が言ったのか「練習中は自分が一番下手クソだと思え。本番では自分が一番上手いと思え」という格言を聞いたことがある。楽器演奏者としては、この格言を貫いているつもりだが、いま現在、フロントマンとしての私はこの格言通りに振舞えていない。ただ、急には変えられない部分なので、場数を踏むうちにちょうどいいあんばいを見つけていきたいと思っている。


他にも、いろいろなアイデアをいただき、何を思いいかにして次につなげるのか、こまごましたことは自分のスマホにメモを残してある。シンポジウムには「みんなで作ろう、澤井一ライブ」というスローガンがあった。今回聞き取った内容を参考に、この先のライブを作っていくつもりだ。体現していけるかどうかは、自分次第だ。今回参加してくれた人から「初めて見たときより良くなった!」と言ってもらえるように、場数を踏んでいこう。

ライブのアンケートを書いてもらうのもいいけれど、こうしてシンポジウム形式で対話してみると、助言やアイデアがずっしり来る。数か月後か、半年後か、一年後か、またシンポジウムを開いてみたい

参加してくれたみなさん、ありがとうございました!

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