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若さの秘訣

一瞬誰だかわからなかった。しかし、お顔の輪郭がクッキリしてくるうちに「見覚えがある!」との感覚が芽生え、さらに数秒を経てどなたかピンときた。こういうプロセスはよくある。
 
4年ぶりのご来店となったこの方は、開店以来のスーパー常連さんたる鈴木さんのお兄様だった。弟さんにお顔も、お声も、仕草もよく似ている。
 
「ここに二次会で来るために一次会を浜松町にしたんですよ」
 
普段は横須賀でお仕事をされている方がわざわざこちらに来ようとしてくださっただけでも有難い。部署は違えど私と同じくソニーのVAIO事業で働いたことがある生粋のエンジニア。その鈴木さんがお仕事仲間の片倉さんをお連れくださった。
 
まるで百戦錬磨の作家さんのような風貌を持つ片倉さんは、白髪混じりの髪に似つかわしいスコッチのロックを揺らしながら、40歳を過ぎてから日本スキー連盟によるインストラクターの資格を取得されたことについて語ってくださった。秋田生まれで3歳の頃からスキーに慣れ親しんでいたとは言え、体力が衰えていく中で本格的な資格を取りにいくためには並々ならぬ根性が要る。それだけでも敬意を表すべきことだが、ご本人は55歳になった今でもさらに一段上のスピード系のインストラクター資格を取るために毎年挑戦されていると言うから驚きだ。

「これはさすがに難しくてねぇ。何度も不合格になってるんだけど、まだ諦めるつもりはないよ」
 
自分が55歳になったときにもこういう気骨を持っていたいと素直に思わされた。

その日のお手伝いはシンガーソングライターのmissatoだったので、


いつもの通りオリジナル曲をピアノで弾き語ってもらったのだが、彼女のユニークで蠱惑的な歌声に片倉さんは恍惚となっていた。
 
「ジャズの似合う声だなぁと思って」
 
余韻に浸りながら旨そうにウィスキーを飲む横顔はミュージシャンのそれにしか見えなかった。実は片倉さん、ご自宅にスタジオを持ち、機材に拘って打ち込みなどもなさる他、楽器の演奏もされるのだとか。
 
「ギターもベースも弾くけど、人前で演奏するときはベースなんだよね」
 
ギターを弾くのが上手い人はごまんといるが、ベースは意外と少ないからなんとかやれるとのご意見だった。彼の音楽的趣味についてさらに伺っていると、何やらモジモジされていた鈴木さんがずっとmissatoの演奏の余韻に浸っていた様子で一言。
 
「・・・めっちゃ好きな声です」
 
女性に愛の告白でもするかのような照れと恥じらいを含んだ、社交辞令の欠片もないピュアな感想であった。アーティストの褒め方にはいろんなバリエーションがあるものだが、「好きな声です」というド真ん中のストレートは端で聴いていてもクルものがある。missatoもその言葉をしっかりと受けとめ、「励みにします」とのルビを振りたくなる丁寧な「ありとうございます」を返していた。


そんな話をする中でお店にやってきたのは、なんと前述したスーパー常連さんたる鈴木さんの弟!この店のカウンターで知り合った、フランス留学を二度も経験している香里奈ちゃんと一緒にご来店くださったのだが、何の打ち合わせもなく兄弟が一つの店のカウンターで出遭う偶然については殆ど言及されないままスキーの話になった。香里奈ちゃんがほぼ毎シーズンスキーに出かけていると話してくれた流れで鈴木さんの弟さんは不意に言った。
 
「"私をスキーに連れてって"っていう昔の映画があるじゃないですか。僕はあの映画のスタントマンの人にスキーを教えてもらったことがあるんですよ」
 
それを聞いていた片倉さんは途中から何やらピンと来たような表情をされていたが、
 
「ああ、その方は今でもゲレンデでたまに会いますよ。有名みたいですね」
 
と、何の不思議もないという様子で返された。もちろん片倉さんと鈴木さんの弟さんは初対面である。こうして初対面の方同士でも自然に話ができるような店を10年近くも続けていると、偶然の一致の価値がわからなくなる。奇妙なご縁の重なりが多すぎて慣れてしまうのだ。
 
思わぬ展開から、その場には居ないひとりの人間にピタリとトークの焦点が合ったところで、新たな二人組のお客様が扉を開けて入ってきた。最近よく来てくださるようになった常連さんの宮崎さんと、その上司に近い存在だと言う仙台在住の森下さんである。彼は初めてのご来店で、一杯目を注文するとやや興奮気味にまくしたてた。

「今日ねぇ、初めてスマホを買ったんですよ!これでやっと家族の一員になれる(笑)」
 
買ったばかりのスマホを嬉しそうにいじりながらボウモアをすすった森下さんは齢65。おぼつかない指先の動きに愛らしさが滲む。娘さんにメッセージでも打っているのであろうか。今からスマホ!?という疑念はさておき、そのお歳でも新たな技術や新たなライフスタイルを身につけようとする姿勢に頭が下がる想いがした。片倉さんと言い、森下さんと言い、若くあり続けるための秘訣を自然に備えておられる気がしてならなかった。
 
若さや老いは決して年齢の問題ではない。瑞々しい向上心と熱い魂さえ保てれば人間はいつまでも若くあり続けられることを、なんとも軽やかに教えられた夜だった。

(了)

*これは事実に基づいたフィクションです。登場人物のモデルになった人物の実名は出していません。

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