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移りゆく関係性

気づけば京都に来て5年が経った。
今の会社に入ったのも5年前だ。

当時の私は、まさか自分が中学校の頃の修学旅行先である
京都に住むなんて思ってもいなかった。

でも、思っていた以上に京都は自分にとって居心地の良い場所だった。
そして、そうさせてくれたのは紛れもなくある人との出会いがあったからだった。

憧れから同僚、そして同士になるまで

京都に来て、見ず知らずの人の中で私がこうして人脈を築くことができたのは、今の会社の元上司(正確には同じチームの先輩)がいたからだった。

人との関わり方、仕事に取り組む姿勢、楽しそうに生きている姿。
そんな先輩はとても輝いて見えたし、とてもかっこよかった。
そんな私は2年目からその先輩のチームに異動し、その背中を追い、たくさんたくさんしごかれた。

まだ入社2年目でできることが少なく、期待に応えられない悔しさに何度も涙を流した。それでも早く先輩のようになりたいと必死になってついていきその背中を追った。

うまく言葉では説明できないけれど、その人は人脈が広くて、人も自分も大好きな人で、とことん極めてなんでも自分でやってみる人だった。
やって、学んで、成長して。その姿を見せられるたびに「自分はまだまだだな」と思えたし、自分もそんなふうになりたい!と思わせてくれる存在だった。

できないならやったら良い。やりたいならやったら良い。
できない理由じゃなくてどうやったらできるのかを考える。

自分はあまり救いの手を伸ばさなかったけれど、私が相談できるような人との繋がりをたくさん広げてくれたおかげで私もなんとか食いついていくことができた。

それが良かったのか悪かったのかは今になってもわからないけれど、
そうやって自分が言うことを体現して、背中を見せていくのがその人のスタイルだった。

同じ職場を離れて

思っていたよりも早く、その時はきた。
先輩は次のステージに進み、会社を後にした。
一緒に仕事ができたのは、あっという間の約2年だった。

あんなに一緒に仕事をしたいと思っていたのに、必死に追いかけていたらその期間は終わってしまった。
最後の方は、少しできることも増えてきて、褒めてもらえることも出てきて、”やっとここから”というところだった。
これから始まる未来にわくわくしていた分、知らせをきいたときは残念な気持ちも大きかった。

だけど、「離れても変化はないよ。これまで通り繋がっていられるしむしろよくなるかもよ。」謎にそんな安心感があったのは、これまでの間に築いてきた関係性があるからだった。

そして、先輩が同じ職場を離れてからと言うもの、私たちの関係性は大きく変わった。

これまでは、いやでも同じチームの先輩と後輩。
その間には10年ほどの経験の差があって、いくら対抗しようにも社会人数年の私にはなかなか及ばないことが多々あった。
「こんなこと聞いても、ああ言われるだろうな」そんな思いが先走って、なかなか相談できないこともあった。

それが、環境と立場が変わることで何の損得感情も考えずにアドバイスを求められるようになった。
自分が今真剣に取り組んでいること、やりたいと思っていること、興味があること、悩んでいること。そんなことを気にせず話せるようになったことで自分の中にこれまであった”嫌な感情”がすごく薄れていることに気がついた。

こんな日が来たことに、驚きと喜びでいっぱいだった。


それでも追いたいと思う背中

それでも、やっぱりその先輩の姿は自分にとってかっこよく写り、わくわくさせてくれる要素がたくさんあった。

その人のおかげでいろんな素敵な方と出会い、輪が広がり、おもしろいことも山ほど経験したし、多くの学びを得ることができた。

だから、それを循環させたい。
自分も、誰かにそのくらい愛を注げる人でありたい。

それが自分の思うところだった。


そして、そう思えたのは紛れもなく、お互いに人と向き合うことを諦めなかったから なのではないかと思う。

一緒に働いていた時、大事にしているポリシーを聞かれたときに先輩が答えていたのがこの言葉だった。

人と向き合うことを諦めない

初めて聞いたときは、正直附に落ちなくてモヤモヤしていたけれど、
なんだか時間が経つにつれてわかるようになってきた気がする。

そしてその言葉が心に残っていたからこそ、
自分も向き合い続けることができたのではないかと思う。


はたから見た関係性

我々は仕事柄においても趣味においても、共通の知り合いが非常に多い。
その中で、先輩と私の関係性を見てみんなそれぞれの感想を教えてくれる。

「見ていておもしろい」「仲良いですよね」「他にはない関係性ですよね」それぞれの視点で伝えてくれるので、そう見えているのか〜と思うことは多々あるのだけど(気分を悪くさせなければどう見えていても良いのだけど)

その中でも特に嬉しかったのが、
「いろいろあったんだろうなぁとそういう感じは、少し伝わってきた気がするけど、でもなんだか、やっぱりお互い、根っこのところですごく良いものを求めてらっしゃるんだろうなあと思いました。」
と言ってもらえたことだった。

確かに、それは紛れもなくて
良いものを、良い仲間たちと作り上げたい。やり遂げたい。
良いものを、良いひとを、伝えていきたい。つなげたい。

そんな自分たちにとって居心地の良いもの、良いなと思えるものが少なからず似ているからこそ、それを互いに追い続けているんだろうなあと、
そんなふうに感じることができた。


人と人との関係性は、時間や環境とともに刻一刻と変わりゆく。
それが、うれしい時もあれば、さみしい時もある。

それでも、自分が歩み寄ることで、向き合おうとすることで
関係性は良い方に向けることができるし、
如何様にでも変えられる。

だからこそ、自分の心に素直になって、等身大で目の前の人と向き合いたい。

その姿勢をこれからも大事にしていきたい。


これが終わりじゃないし、また始まるのかもしれない。
どうなるのかわからないけれど、どうにでもなる。

それが身をもって経験したこと。

実は、うつりゆく未来に、うつりゆく関係性に
こわいと思う必要はないのかもしれない。



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※最近短歌を読むのが好きです。いや、正式には短歌や詩に触れている時間が好きです。

自分がすてきだなと思える短歌を読めるような人になりたい。
「この味がいいねときみが言ったから、七月六日はサラダ記念日」

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一生勉強、一生青春。
今日も素敵な一日でした。

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