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言葉に「やさしさ」を、そして責任を。

ここ最近、世界には棘をもった言葉があふれている。

言葉は美しいものだ、と私は信じている。

美しいものには棘がある。毒がある。

使い方。受け取り方。選び方。

私たちは言葉に触れるときに必ず「選択」をしています。

「本当にその選択でよかったの?」

と聞いてみたい発言ばかりが拡散されて。受け入れられて。


人はあまりにも自分を信じすぎている、と思います。

自分の信じた「正義」を周りにも押し付けて、少しでも違うものは完全なる「悪」へと追いやろうとしてしまいます。

それは、あまりにも悲しいことで。悔しいことで。

個人の信じる「正義」はすべてまぎれもなく正義である。ということを思い出してほしい。勝手に唯一のものだと決めつけないでほしい。

その信条を傷つけることは誰にも許されていない。

もしも傷つけるとしたら、代償が返ってくることを、自分も戦場に足を踏み入れてしまったということを自覚し、覚悟しなければいけない。


そのことを、もう一度、その心の奥で考えて。

呑み込んで、解釈して、自分のものにして。


そのうえでそうしたいならすればいい。

私の声は、大勢を動かすには小さすぎるから。

現代の発達した情報システムは、その人の情報の選び方から趣味趣向を読み取って、その人が喜びそうな情報ばかりを流してくれてしまうそうです。

怖い、と思います。

偏った思考の人間ばかりが量産されて、同じような思考の人々で団結しやすいシステム。

今の情報社会では、気を付けていても、完璧に物事をフラットな視点から見ることなんてほぼできない…少なくともこんな底の浅い小娘には不可能で。


今どうしてこんなに悪意がそこら中にあふれているのか。詳しい経緯はわからないし、知るのも怖い。

知ったところで、私には関わり合いのない遠い世界の話になってしまうだけだから。


だから、私のこのか細い声が届いた数少ないそこの、あなた。

あなただけは、悲しい過ちを繰り返さないで。

言葉に棘を持たせないで。

自分以外の誰かの声に、耳を澄ませて。

どうか美しいままでいて。

やさしさを胸に、絶対に忘れないように持っていて。


悲しい連鎖が、すこしでも早く終わりますように。

この声が、叫びが、誰かの心に届きますように。

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