翔べないひよこ

救済

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最近の記事

人の世は「そうは絶対にならない」ことをずっと示し続けて来た。「そうなることが出来ない」のが人間の運命なのは、自分の胸に聞けばわかるでしょ?未来永劫このままだよ。

    • Wheel of Fortune

      振り上げた拳は下ろしきれって言うだろ? ポーズだけの男はダサいって習わなかったか? 見せかけだけの、優しさ、誠実さ、そんなものになんの価値がある? 上部だけ良い面してろよ。きっと沢山引っかかるぜ。 俺はお前らに背を向けるさ。本当の男になりたいからな。 カフェでMetroとFutureのWe still don’t trust you を聴きながら、これを書いてる。 良い曲だよ。 DrakeとKendrickのbeefはいつ終わるんだろな。 俺は初めてHIPHOPの良さを痛感

      • この街でただ1人

        何者かになりたくて、何者にもなれないのがもどかしくて、取り敢えず家を飛び出して、適当に夜の街を彷徨ってみる。 すれ違うのは会社帰りのリーマンか、カップルばかり。リーマンを見ると、なりたくねえなあって思うし、カップル見ると羨まし〜と思う。どうでも良いが、俺はこの街で1人なんだ‼︎ 俺はたった今この瞬間、このクソでかい街で、バカでかい世界で1人なんだ‼︎ USのヒップホップを聴きながら、夜の街を散歩してると、色々と考えることが湧いてくる。友達のこと、別れた恋人のこと、研究のこと

        • たまたまの曲。

          昔は音楽が好きじゃなかった。 テレビで聴く音楽も、友達が聴いてる音楽も何が良いのかわからなかった。 高2の時、勉強中に何か聴くものが欲しくて、YouTubeで音楽を探した。好きな歌手も居ないので、とにかく再生回数の多い曲をウォークマンに入れて聴いていた。日本語の曲は避けた。意味がわかるので集中の妨げになるし、何より歌詞があんまり好きじゃなかった。聴いてて恥ずかしい、そう思った。 結局辿り着いたのは、アメリカで人気な曲たち。 Selena Gomez、Camila Cab

        人の世は「そうは絶対にならない」ことをずっと示し続けて来た。「そうなることが出来ない」のが人間の運命なのは、自分の胸に聞けばわかるでしょ?未来永劫このままだよ。

          哲学の果たせる役割って、真理に見える虚構を生み出せる事なのかも。

          哲学の果たせる役割って、真理に見える虚構を生み出せる事なのかも。

          A・マッキンタイア『美徳なき時代』第五章

          サークルの読書会で、米国の徳倫理学者である、A・マッキンタイアの『美徳なき時代』を扱っているが、中々示唆に富んでいるので、まとめに若干の考察を加えたものを残しておこうと思う。*考察の半分くらいは読書会に参加してくれている後輩の考えである。 ・ 「キルケゴール、カント、ディドロ、ヒューム、スミスらの道徳の正当化という論証は失敗に終るが、彼らの共通点は「道徳の諸前提に人間本性のある特質」を構想する点。一方で、キルケゴールは他の人間が「情念(パトス)もしくは理性の諸特徴」に訴え

          A・マッキンタイア『美徳なき時代』第五章

          現代的不安感の根源

          この論(論と呼べるのか?)はメモの中に眠っていた。 一読した限り、根拠らしいものは恐らく持たないまま、漠然とした自分の想像で書いたのだろう。 だが、自分が現代の問題を論じていること自体が面白く、珍しいので投稿することにした。 現代日本の若者層に蔓延している漠然とした不安感(あるにはあるはず)は、往々にして経済・国家の未来・世界情勢といったものが原因として挙げられるが、その根源は「家」の解体にあるのではないか。21世紀に入り、女性の社会進出は肯定・加速し、それに伴い従来の家父

          現代的不安感の根源

          学問に終わりはない。生きている限りどこまでも続く。だからこそ楽しい。

          学問に終わりはない。生きている限りどこまでも続く。だからこそ楽しい。

          安寧

          過ぎ去った日々は、もう二度と帰ってこない。 どんなに焦がれても、虚しさだけが手元に残る。 思い出に癒されていると、どこが現実か迷う。 顔を上げると、死が微笑んでるのだろう。

          過去ばっかり見てると老いる。 体じゃなくて心が老いる。 晴れてはいるけど、周りに誰もいないし、なんの建物もない。 地平線まで綺麗に見渡せるけど、短い草っ原が永遠に続いてる。 そしてひたすら寂しくなる。

          過去ばっかり見てると老いる。 体じゃなくて心が老いる。 晴れてはいるけど、周りに誰もいないし、なんの建物もない。 地平線まで綺麗に見渡せるけど、短い草っ原が永遠に続いてる。 そしてひたすら寂しくなる。

          2月20日

          今日は嬉しかったことが多かった。 朝9時に目を覚ましたこと(2度寝しちゃったけど)、サークルの活動に行ったら久しぶりに会う人が居たこと、後輩とカフェで3時間近く話したこと、図書館でいい本を見つけれたこと おやすみなさい。

          バイトに行く前-性欲と性行為について

          バイトに行く前にプラトンの著作を読んでたら、ふと書きたくなった。 ⚠️かなり露骨に性の話をしているので嫌な方は読まないで下さい。 性行為から子供が産まれることの因果関係が不明だったことは文明以前の古代社会のトーテム信仰の有り様を見ても明らか。であるならば、何故に人間は性行為をしようとなるのか。文明以降の人間は性行為によって子供が得られることを、恐らく知識として知っているし、性行為というものが男性器と女性器の結合よりなるものであることも、知識として知っている。その為、そ

          バイトに行く前-性欲と性行為について

          善を目指す者にとっての幸福とは

          前のnoteで善を希求すること云々について書いた。そのつながりで、今回は善を希求する者にとっての幸福とは何なのかについて書く。どうも、司馬遷の思想が参考になりそうだ。 司馬遷の思想というのは『太史公書』(『史記』)の中に現れる救済思想である。司馬遷自身は、李陵の弁護という正しい行いをしたにもかかわらず宮刑を受けている。その屈辱と怒りは、儒者としての司馬遷を人間としての司馬遷が上回るという形で『太史公書』の中に現れてくる。『論語』から引用した「伯夷・叔斉、舊悪を念(おも)はず

          善を目指す者にとっての幸福とは

          なぜ今哲学なのか。

          大学三年の秋学期、急に西洋哲学に傾いた。本業の儒学についての勉強はほとんどしなくなった。もちろん経書の筆写をする時間もあまり確保していない。なぜ、そこまでして急激に西洋哲学に目を向けたのか。自分でも忘れない為にここに記す。 そもそも儒学の勉強を始めたのは、善い人間になりたいという願望があったからだ。そして大学一年の終わりに『論語』と出会って、儒学こそがその願望に応えてくれるという確信を持った。この確信は今でも変わらない。だが、最近一つの疑問が湧いた。「なぜ善い人になりたいの

          なぜ今哲学なのか。