バイトに行く前-性欲と性行為について


バイトに行く前にプラトンの著作を読んでたら、ふと書きたくなった。
⚠️かなり露骨に性の話をしているので嫌な方は読まないで下さい。



性行為から子供が産まれることの因果関係が不明だったことは文明以前の古代社会のトーテム信仰の有り様を見ても明らか。であるならば、何故に人間は性行為をしようとなるのか。文明以降の人間は性行為によって子供が得られることを、恐らく知識として知っているし、性行為というものが男性器と女性器の結合よりなるものであることも、知識として知っている。その為、その行為方法について戸惑うことは無い。
では、文明以前の人々もこれを知っていたのか?人間には性欲が、強い弱いの差はあれど、恐らくは先天的にあるものだろう。だが、それに基づいて行われる、性行為が行為として如何に成立させられるか、つまり男性器と女性器の結合が、まさにそれであるということは、如何にして知られ得るのか。確かに、動物も性行為を行う。そして、あれらは、恐らく知識ではなく本能によってその行為方法を知っている。人間もそうであったのだろうか。人間も動物であるからには、きっとそうであったに違いない。本能的に男性器と女性器の結合による性行為が、性欲の向かう先の行為であることを、そして何故かその為に子供が産まれることを、本能的に知っていたのだろう。(確証はないし、そもそも文明以前の人々にも性欲が自覚されるものとして有されていたのかは不明)
さて、この前提に立った上で、現代に目を向けてみると、果たして現代人は、本能として男性器と女性器の結合が性欲に基づく性行為であり、その為に子供が得られることを、本能的に知っているのだろうか?自分に関して言えば、これは知らなかった。中学に入り、周りの同級生なり教育なりで、外から教わるまで、自分はその事を一切知らなかった。そして、何人かに話を聞く限りでは、これが現代としては普通なのだと思う。
となると、自分は本能が一部欠けていたことになる。一部と言うのは、食欲、即ち空腹を覚えたら何かを食べたいと思い、睡眠欲、即ち眠いと思ったら体を横たえるなりなんなりして眠りたい、と思うからである。これは、教わるよりも先に知っていたことと思う。(遠い昔のことだから、あやふやだが)。人間の三大欲求のうち、性欲だけが、それに基づく先の行為を知らなかったことになる。これは一体どうしてなのか。食欲・睡眠欲・性欲の違いを考えてみると、性欲だけが他者の存在を必要としている。ただし、ここで問題なのは他者を必要とする性行為と、必要としない自慰行為の前後関係だと思う。つまり、「男性器と女性器を結合させることにより、快楽を得て性欲を満たすことができる」ことを知っているから、「自分の性器を刺激することで快楽を得て性欲を満たすことが出来る」ことを知るのか、それとも、「自分の性器に刺激を与えることで、快楽を得て性欲を満たすことが出来る」ことを知っているから、「男性器と女性器を結合させることで、「より」快楽を得て性欲を満たすことが出来る」ことを知ったのか、である。だが、思うに、後者→前者では無いと思う。と言うのも、後者は、条件として、① 「自分の性器に刺激を与えることで、快楽を得て性欲を満たすことが出来る」ことを知っている、男女の存在。② 「自分の性器に刺激を与えることで、快楽を得て性欲を満たすことが出来る」ことよりも、「男性器と女性器を結合させることで、「より」快楽を得て性欲を満たすことが出来る」ことを、想像できること。 この2つが最低条件として必要なはずと考えられるからだ。 となると、やはり、3大欲求のうち、性欲のみが他者との関係性を前提的に有している。
さて、ここから、他者との関係性の下に、考察してみよう。(この時点で、自分及び、現代人には本能がまず、多少欠如している可能性を前提としている) 男女の肉体的な区別として、恐らく、大きな要因として占めているものは、乳房の膨らみの有無、と、性器の構造及び外見の違いであると思う。特に前者が体型によっては、差異があまり無い可能性を帯びているのに対して、後者は絶対的に一目瞭然であるように思う。となると、人間の知的好奇心というものが、そこに向かうことはある種必然でもあるように思う。目の前にいる人間は、明確に自分と身体的な構造上での差異を有しているのだから。(文明以前・初期の人々の服装が簡易なものであることを考えると、お互いの身体的な差に気づくことは、かなり容易であったのではないかとと思う)この好奇心を相互に抱き、お互いに何らか干渉をすることで、男性器を女性器に挿入する「性行為」が、自分の性欲を満たすことに繋がることを、知ったのではないだろうか。この考えは、最初に性欲と性行為の連結性を認識した者どもに対する可能性である。
しかし、この説を正しいとすると、性行為はあくまでも知的好奇心の結果として生じたものであり、それによって自分の性欲を認識することになりはしないか?つまり、性欲は食欲・睡眠欲と並ぶ先天的な欲求では無いものとなってしまう。果たして、実際はどうなのか全く分からないが、少なくてもこの説に立つ限り、性欲は先天的な本能ではなく、行為によって獲得した後天的な本能なのではないだろうか。だからこそ、外から教わらなければ、現代人は性欲と性行為の結びつきが分からないのではないだろうか。
だが、この話はもっと考察を要する。初期の人々が服装に対して何を目的としていたのか、身体保護はあるだろうが、そこに恥じらいの観念は潜んでいたのか、本当に性欲と性行為の連結性は、外から教わるまで知らないものなのか、色々と検討の余地はある。と言うか、バイト行く前にチョロっと書いたから論理が破綻している可能性も大いにある。

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