善を目指す者にとっての幸福とは
前のnoteで善を希求すること云々について書いた。そのつながりで、今回は善を希求する者にとっての幸福とは何なのかについて書く。どうも、司馬遷の思想が参考になりそうだ。
司馬遷の思想というのは『太史公書』(『史記』)の中に現れる救済思想である。司馬遷自身は、李陵の弁護という正しい行いをしたにもかかわらず宮刑を受けている。その屈辱と怒りは、儒者としての司馬遷を人間としての司馬遷が上回るという形で『太史公書』の中に現れてくる。『論語』から引用した「伯夷・叔斉、舊悪を念(おも)はず、怨み是を用て希なり」・「仁を求めて仁を得たり。又 何ぞ怨まんや」という文に対して、司馬遷は「余 伯夷の意を悲しむ。軼詩を睹るに異(あや)しむ可し」と書く。伯夷・叔斉は互いに義に基づいて王位を譲り合い遂に出奔した後、殷を討った周を不義としてその禄に与ることを拒み餓死した義人である。孔子は、この両人(特に伯夷)を指して餓死したにもかかわらず、仁を得たので怨みは無かったとする。しかし、正しい行い(李陵の弁護)をしながらも宮刑を受けた司馬遷にはそう受け取ることはできず、孔子の言葉に異論を唱えるという儒者としては異例の言を述べる。だが、司馬遷は孔子の言葉に異論を唱えつつも、孔子の「君子は世を沒へて名の稱せられざるを疾む」という言葉を引き、孔子が両人の伝承を後世に伝えたことで、両人は義人として後世から認識され、その悲運は救済されたとする。これが儒者としての司馬遷が自身の悲運を包含しながら導き出した結論であった。司馬遷は実際にこの考えに基づき、不遇であった孔子を世家(諸侯の傳)に立てることで、孔子をも救済する。
司馬遷の救済思想のあらましは上記の通りだが、これを整理すると人間の悲劇を救済するものは、記録による伝承ということになる。この考えは、善人にとっての幸福が、正しく善人として記録され後世へと継承されていくこと、という風に一般化しても差し支えないと思う。事実、司馬遷は孔子・伯夷という善人を善人として記録することで、後世にその名を遺し、悲運を救済しているからだ。司馬遷の考える幸福(「幸福」という言葉と必ずしも合致するとは思わないが)というものが、名が良い方向で死後も継承されていくことであることは恐らく的外れではないと思う。
司馬遷の『太史公書』に現れる上記の特徴は発憤書として扱われることが多いが、救済思想の一つとして見ることもまた可能であると思うし、何より名が後世に伝わるというのは、忘却されることが人間の不幸の一つだろうという自分の考えとも結びつく。
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