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“女”カードを捨てる覚悟はあるのか?ー女芸人の壁を読んで

「女芸人の壁」西澤 千央 (著) を読んだ感想

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“女性”研究者なんて呼ばれたくない。
“リケジョ”なんてもう古い。
”女だから”と言われてるみたい。

そんなことを言っていたのは、
意地も入っていたんだと思う。

私は日本の大学に所属する、
まだまだひよっこの"女性"研究者。

最近、相方のちーさんと、
女芸人もリケジョと同じだよね。
ただ芸人さんって呼べばいいのに何でわざわざ女って属性を付けるんだろう?おかしいよねって話をしてた。

私たちいいこと言ってるかも、とか思ってたよ...



「呼ばれなくなる覚悟はあるんか。」

書籍「女芸人の壁」のインタビューの中で
Aマッソの加納さんがおっしゃっていた言葉である。

女芸人という言葉のゆくえ
という見出しが付けられていた。
まさに私たちが最近、話していたことだった。


記者: 女芸人という言葉はなくなると思いますか?

加納: 別にどっちでもいいですけど...

に続く言葉は、

女芸人にその覚悟があるか次第ではないか

だった。

「全部実力」

「怖いで」


自分の身に置き換えたら、本当に怖くなってきた

女のカードを捨ててしまったら、今までみたいに戦えるのだろうか?

そこまでの実力が、これからが、私にはあるのだろうか?


女だから就職できて良かったね。

女だから研究費取れたんだね。

悪気がある人からも、ない人からも、
そんな言葉は何度となく、受け取ってきた。

たしかに実力だけではなく、女だからで、享受したこともあったのかもしれない。

何をしても、よぎってしまう思考である。

最近も言われて引っかかった言葉がある。

「実際にあなたと話をして、優秀なのがよくわかったよ。」

今まではただの若い女だからという意識でもあったんだろうか。
たいそうな褒め言葉のはずなのに。
そんな受け取り方をしてしまう自分も嫌だった。

必死に掴み取った成果も
女だから に踏み躙られていく。

女であることが嫌になり、
自分なんてと、研究者としての自信も失くしていく。

別に自分で選んだカードじゃないのに。

様々な感情が、思考が、
自分の首を自分で締め続ける。

そんなネガティヴな思考の中で
ふと大好きで尊敬する偉大な先輩の言葉を思い出す。

研究者は負けるのには慣れている。
だって、ずっと負け続ける人生だから。

実験は失敗する。
予想は外れる。
論文はリジェクトされる。
研究費も、公募書類だって幾度となく落とされる。

勝ちがある日なんて、
1年の中のどれくらい?


そうだった。


私たち研究者は負け続けてきた。
でも、その度に立ち上がり、走り続けてる。


私が持ってる女のカードの強さは、
今は分からない。

このカード以外に戦える武器は
私には何もない可能性だってある。

でも、実力がないのがわかったら、それに向き合うしかない。

今までしてきたことと、やることは何も変わらない。


だから、女のカードはやっぱり捨てたい。
怖いけど、覚悟はあるって言おうと思う。


 文責 はち

ポッドキャストで気軽に言ってた、リケジョという言葉がなくなって欲しいという私たちの意見。

「女芸人の壁」を読んで、真正面から新たな意見を打ち込まれ、ハッとしたので書いてみました。
あくまで、はちという個人の心の中を書いています。

ポッドキャストもお聞きいただけると嬉しいです!

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