桂小五郎の妹、治子の写真を読む
この写真は、桂小五郎(木戸孝允)の実妹治子の写真です。
ひょっとしたら、現存する唯一の写真ではないでしょうか。
村田書店「來原良蔵伝」(昭和15年初版、63年再版)に掲載されているものです。
私は肖像写真の傑作ではないかと思っています。
では、この穏やかな自然な表情から何が読み取れるか、まとめてみたいと思います。
1 この写真は晩年のものか
治子は天保九年に生まれ(小五郎は四年)に生まれ、明治八年に38歳にて肺病で亡くなっています。
写真は、時期的には幕末か明治初めころでしょう。
当時、すでにベアトの写真のように鮮明な写真は数多くあります。
写真の下が切れていますが、周辺が溶け込むようになっており、本人だけが浮き上がるように演出されています。
カメラマンの力量とともに、治子がカメラマンを信頼していることが伺えます。
2 髪を下ろしていること
夫である來原良蔵は、長州藩や天皇、幕府を揺るがせた長井雅樂「航海遠略策」騒動の中、暗殺未遂事件の責任を取り36歳で江戸藩邸で自決しています。
結婚生活はたった6年。子供は二人。
來原良蔵は江戸や薩摩などを奔走して、萩の家には限られた時期しかいなかったと思われます。
とはいえ、治子の穏やかな表情からは、夫はこの世に來原良蔵ただ一人、「悔いはない」という不動の愛が感じられます。
3 眉を剃っている
未亡人故、剃髪し、既婚者ですから眉も剃り、はっきりしませんが、おそらく歯もお歯黒をしていることでしょう。
江戸時代の既婚女性の風習ですね。
萩においても、それは変わらなかったという証です。
小五郎の母や義理の姉も、おそらく同じだったと思われます。
維新後、新しい時代が始まっても、お治は自分の生まれ育った江戸時代の風習を、一切変える気はないという信念が伺えます。
4 目鼻、顎から読み取れること
治子と桂小五郎の顔つきの違いは、治子は父親である和田昌景に似て、桂小五郎は母親似ではないかと思えます。
これは私の個人的な経験からの、まったくの主観です。
両親の写真や絵はありませんので、この二人の顔立ちから、父和田昌景と母清子の姿を推測するしかありません。
背が高く目鼻のはっきりした小五郎。少し目が垂れ目で、顎がしっかりしている治子。
なんとなく、両親の姿が思い浮かんでくるように思います。
5 口が達者
父である和田昌景は藩医で、また弁舌と経営の才があり、何か騒動があると巧みな弁舌でまとめ上げてしまう人物でした。しかもダジャレが好きで、ユーモアのわかる人物だったようです。
治子はというと、口が達者で、14歳ころ、つい言い過ぎて義理の姉を激怒させてしまったことがありました。
19歳の小五郎は、姉の夫文譲に、一緒に住んでいるようなものなのに、わざわざ手紙を渡して妹の不始末を謝罪しています。
手紙の末尾には、なんと三国志の英雄、関羽(文譲)と張飛(自分、小五郎)にたとえて、二人で和田家の円満に、しっかりと支えていきましょうよ、みたいなことを書いています。
6 來原良蔵の求婚
こんな妹ですから、來原良蔵が治子の結婚を申し込んだとき、小五郎は何度も「不美人だが、いいのか」と、わざと念押ししています。
もちろん、小五郎としては、妹が不美人というより妹の性格がよく分かるだけに、良蔵の意思を確認したかったのでしょう。
頭の回転が速く、口が達者で、気の強い妹の治子。対して、來原良蔵は伊藤博文の師匠であり、長州の軍政近代化に大きく貢献した人物です。
きっと二人は通じ合うものがあったのでしょうね。
◆関係リンク 以下の記事もお楽しみください。
サポートしていただき、ありがとうございます。笑って泣いて元気になれるような作品を投稿していきたいと思います。よろしくお願いいたします。