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桂家、和田家に尽くした友藏

 桂小五郎の実家である和田家の下僕である友藏は、実在の人物です。
 出身は小五郎の実父である和田昌景と同じで、周防熊毛郡呼坂村です。
 友藏の一生は、一貫して和田家と桂家に、一途に尽くしたものでした。桂小五郎が江戸に旅立ってからは、友藏は和田家だけでなく桂家の家事も財産管理も引き受けて働き続けました。
 友藏は、安政五年、萩にコレラが流行った時に感染し、三十九歳で亡くなります。友藏は病床で、和田家と桂家のことを心配し続け、さらには、江戸にいる桂小五郎の将来も繰り返し案じています。友藏は、最後には和田家や桂家、桂小五郎に尽くしきれず「残念」と言い残して息を引き取りました。 
 これほどまでに尽くす友藏とは、その人生の中で、どのような精神形成の過程があったのでしょうか。生まれながらに「忠僕」ということは、あるでしょうか。私には、何か、価値観形成のきっかけになるような出来事が、あったのではないかと思えてなりません。
 生前の記録からは、実家との関係はまったく浮かんではきません。亡くなってから兄が来たとあるだけです。ここにヒントを感じた次第です。
 友藏の幼少期から青年時代、そして成人してからと、色々と洞察してみたくなりました。忠誠心の奥に、和田家に恩を返したいという思いがあるとすれば、どうでしょうか。和田家への徹底した忠誠心に、一本の芯が通るわけです。
 ここから、作者の解釈による、まったくの創作が始まったわけです。「小五郎伝」では、小五郎を支えてくれた、こうした人々にもスポットライトを当てて、独自のテーマをもってもらおうと腐心しました。
 友藏さんにお願いして、勝手に出番を作った次第です。友藏さん、許してくださいね。
 というわけで、時代考証の関係で色々と調べているうちに、こうした無名の人々と出会いがあるのも調査の楽しみですね。
 


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