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【自己紹介】生まれてから大学卒業まで

今さらながら、自分のことを少し書いてみようかと思います。

今年で29歳。20代最後ということで、思うことがあったので人生の振り返りをば^^

これまでの出来事でどのような価値観が形成されてきたのかをまとめてみました。
※長めです※

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一家のアイドル的存在として誕生

4人兄弟の末っ子として、群馬県の田舎に生まれる。

兄・姉・姉・私。上3人は年子で私だけ歳が離れているため、親族だけでなく兄弟の友人からもかわいがられていた。何かすると喜んでもらえるのが嬉しくて、ふざけたりお花プレゼントしたり。我ながらあざとかった。

ただ、顔がみんなと似ていないうえに近所に川があったので「川で拾った」という冗談を真に受け、生みの親は別にいると本気で思っていたw

ちなみに、姉2人は美人。それもコンプレックスだった。母からは「あんた顔はブサイクだけどセンスいいし清潔感あるからなんかかわいいのよね」と現実的なかわいがり方をしてくれたおかげで、捻くれなくて済んだ。

兄姉とは歳が離れている分、喧嘩はなかったものの、何かすれば親の代わりに上の姉によく叱られた。

特に、人の悪口を言ったり、厚意を踏みにじるようなことをしたとき。その時はよくわからなかったけど、今ではすごく感謝している。めっちゃ道徳的なことを教えてもらった。

劣等感の原点

一番近くて6つ差で、体力的にも口喧嘩も叶わない。他の兄弟と違って運動はあまりできず、劣等感が育っていった。いつまでも子ども扱いで話題は蚊帳の外ということもあり、「早く大人になりたい!」という感情が幼いころから強かった。

自分は何もできなくて周りに良くしてもらっていることを理解していたし、早く自分も人に何かできるようになりたいと思っていた。

母曰く、私の小学生のころの口癖は「出世返し」だったらしいwどんな小学生なん。

音楽への興味 ~小学校~

物心ついたころからピアノを習っていた。多分、姉2人がピアノを習っていて身近だったから。

兄も姉も流行りの音楽に興味を持つ年ごろだったので、幼稚園年長か小学校低学年くらいからよくJポップ・ロックを聞いてました。

椎名林檎、ジュディマリ、イエモン、スピッツあたり。自分の世代より上の音楽が好きなのは絶対その影響。姉がピアノで弾いてくれるJポップの音楽にのせて歌うのも好きだった。

あと、絵ばっか描いてた。運動はできないけど、芸術に関することは割と褒められることが多かった。

苦手克服への目覚め ~中学1年生~

運動ができないことがずっとコンプレックスだったので、そんな自分を変えたくてバスケ部へ入部。その中学で1・2を争う厳しい部活だったが、「未経験でやり切れたらかっこよくない?」というお気楽な感じで挑戦。

ただ、急にハードな運動を始めたので体調を崩し1年で退部…。続けられなかったことは今も引きずっている。この時の経験から、逃げ出すことや途中であきらめることが嫌な性格になったと思う。

それでも、中学で一番充実していたのはバスケ部にいた時期だった。苦手なことに挑戦している自分への誇らしさと、努力を重ねると上達していく嬉しさ、経験者の友人たちが応援してくれて先輩も同級生も自分の上達を褒めてくれる。

すごく充実していた。運動神経も努力でそれなりに良くなった。最終的にはやめてしまったけど、あの時バスケ部を選ばなかったらもっと自分に自信が持てなかったと思う。

初めての1番 

中学で初めての期末テスト。10番以内に入ったらご褒美頂戴と親におねだりしていたが、まさかの1位に。運動会でも活躍できなかったので、1番になったのはこれが生まれて初めて。

バスケで忙しい中1位を取ったのでとても誇らしい気持ちだった。でも「1番」自体にはそんなに価値を見出せず「1番ってこんなもんか」くらいの冷めた感じ。

この時に人に勝つとか1番になるとかどうでもいいんだということに気が付いた。それ以上に、明らかに大変な環境にいるのにいい成績が取れたことが嬉しかった。初めての自己有能感

とはいえ、自分の好きなことは負けたくない。音楽とか絵とか、順位がつかないものへのこだわりが強かったので、別に自分が満足してればOKという感じ。そのあとは勉強はそこそこに10番以内に入ればいいかくらいで力を抜き始めた。そこそこを狙うようになったのはこの頃から。

念願のバンド活動 ~高校~

中学のころからバンプやエルレ、ポルノグラフィティにはまりバンドへの興味がピークに。中3のクリスマスプレゼントでアコギを買ってもらい、ずっと練習していた。ギターメインで受験勉強が息抜きみたいなw

でも本当はずっとドラムがやりたかった。でも田舎だから教室もないしスタジオもないし…。軽音学部に入るしかないと思って、軽音学部のある高校だけに絞って受験→入学。念願叶ってドラムを始めた。

部員数も多いし定期的に集まる機会も少ないので、先輩との接点は自分で作るしかない状況。とにかく目立ちたかったので、なにか準備が必要なことがあれば積極的に手伝っていた。(戦略的接点により、部長になった)

心理カウンセラーへの憧れ

この頃の出来事が私のキャリアや自分のなりたい姿に大きな影響を与えている。

高校入学と同時に、家庭内で嫁姑トラブルが発生。何か問題が発生した時に、上3人は矢面に立って母親をかばえるのに私だけ蚊帳の外。すごく気を遣われていることがわかったし、何もできない自分がすごく嫌になった。人生で初めて人を憎むという感情が生まれて自己嫌悪に陥る。

そんな時に、学校のキャリア支援の一環で心理カウンセラーの方が講演に来た。「人は抱いちゃいけない感情なんてない」という言葉が当時心に刺さった。あ、何思ってもいいんだ。と心が軽くなった感じ。今でもハッキリ覚えている。

そこから、自分が母親にできるのは「癒すことだ」と開き直った。私は私にできる役割をやろうと。母がキモチを吐き出せるように話を聞いたり、少しでも喜んでもらえるようにしたり。明るく振舞ったり。

それをきっかけに、自分も心理カウンセラーになろうと思った。心理学部がある大学だけしか受けなかった。

上京し、情報格差に驚愕 ~大学生~

東京の大学に進学したので、一人暮らしスタート。軽音サークルとオールラウンドサークルに入った。オールラウンドは完全にノリ。なんか大学生っぽいことしたくて。軽音はバンドやりたかったから。

軽音サークルは、過去に有名なアーティストを輩出しているサークルに入った。音楽に詳しい人が多くて、周りとの差に驚愕。私の知らないアーティストの話題も多いし、ディスクユニオンでジャケ買いって何?状態。

みんな、高校の時からスタジオで週何回も練習したり、ライブハウス行ったり、インディーズのCDを買い漁ったりしてたようで、本当に詳しかった。もちろん、演奏もめちゃくちゃ上手だった。オリジナルもガンガンやってた。

群馬の田舎で部長やってたからって調子乗ってたけど全然音楽も知らない。スタジオなんて近くになかったから部活の練習日以外練習してなかった。CDショップもTSUTAYAしかしらない。

ドラムもヘタクソだしバンド組むのが恥ずかしかった。申し訳なくて。多分これが、数少ない挫折経験

みんなの話についていきたくて、先輩にたくさん音楽聞いたり、ドラムの教室通ってみたり。望めばなんでもある東京ってすごいと思ったw

ヘタクソでも一緒にバンド組んでくれた先輩や同級生、後輩には本当に感謝。みんなストイックで楽しかった。

大学院進学をやめて就活に切り替える

大学2年の夏か秋くらいまでは心理カウンセラーを目指していたため大学院進学を考えていた。院進学のためにアルバイト増やしたり、貯金のために節約したり。結構生活はいっぱいいっぱいだった。交際費ケチるのがストレスすぎて節約向いていないと思ったw

同時に、精神病やカウンセリングについて学んでいるうちにカウンセラーになる自信がどんどんなくなっていった。もともと共感しやすい性格でクライアントの感情を受けて一緒に落ち込んでしまうのではないかと怖くなったから。自分の弱さ故、覚悟が持てなかった

時間が経つにつれ、就活をするか大学院進学をするか選択しなけらばならなくなったとき。人の心のネガティブ要因を減らすにはカウンセラー以外にも道があると考え直した

それに、社会に揉まれて鍛えられてからでもカウンセラー目指すのは遅くない。いろんな経験が武器になる仕事だから、選択しとしては残すものの、別の手段で「マイナスをプラスに変えられる人」になろうと思った。

就活迷子

就活自体は楽しくて仕方なかった。いろんな企業の話が聞けるし、友達がたくさんできたから。ただ、苦戦した。

最初は、「より多くの人の人の心を動かしたい!」「情報を発信することで豊かな人を増やしたい!」と思って広告業界を中心に就活をしていた。今思うと全然軸通ってないし、浅かったw

でもその当時は広告に携わればなりたい姿に近づけるんだ!やりたいことができるんだ!とただただ”憧れて”いた。

案の定内定は全く貰えず。途中1か月くらいどこも受けずにお休みした。アルバイトしたりぼーっと散歩したり、実家帰って家族と話したり。自分を見つめ直してみたり…。

その結果、心理カウンセラーになりたかった原点に立ち戻った。広告はマイナスをプラスにすることもあるが、どちらかというと日々の生活に+オンするもの。

私がやりたいのは、自分が介入することで「マイナスを減らす」ことで、それによってより「人生の充実度を上げる」こと。仕事やキャリアの悩みは自殺・メンタル不調の原因となることが多い。

そこの課題を解決出来たら、損を感じる人は減るのではないか?心も豊になる人が増えるのではないか?

原点に返り、人材業界であれば自分のなりたい姿や叶えたい社会に近づけるのではないかと考え直した。

そこからは就活は順調だった。面接中も自分の話していることに納得感があった。自分の将来を考えるにあたって、自分を理解することがどんなに大切かを実感した。

エン・ジャパンへの入社を決める

人材2社から内定をいただき、エン・ジャパンに入社を決めた。とにかく理念に共感していたから。あとは成長予感。

人間成長の実現という人理念への共感
 →身近な人を助けられる力が欲しい、成長したいという気持ちにマッチ
入社後活躍の実現という事業理念への共感
 →私も、人生の充実=仕事人生の充実と考えていたから
・会社・社員の風土
 →フラットでフランクかつフィードバック文化なので成長できそう
・採用担当人事(理解してもらえた感)
 →弱みも含め、一番自分をさらけ出せた

「人に気を遣いすぎる。図太くなったら社長賞も狙えると思う」という当時の採用担当の言葉を真に受けた部分もあるw

内定承諾後は、就活を通じての学びを後輩に活かしてほしいという思いから内定先であるエンの協力を得ながらイベントの企画を数回やったり。内定者時代はこれまでの大学生活でも一番意欲的にいろんなことに取り組んでたと思う。

大学生活も楽しかったが、早く働きたくてたまらなかった。

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ここまでが大学卒業までの話です。長かったですね。

とにかく自信のない自分と向き合い続ける人生w

入社後の話は別でお話しします!

では。


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