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Every dog has his day.①

  あらすじ
 新聞記者の江上は早期退職を迫られ、熟慮の末、28年間の記者生活にピリオドを打つ。リーマンショックの不況下、52歳、妻と大学生2人を抱えていた。再就職に不安を抱える中、退職挨拶で訪れた栃木市(栃木県)から、地元に眠る江戸時代の浮世絵師・喜多川歌麿の幻の作品調査を依頼される。当時、歌麿は同市内の旧家、善野家を度々訪れ、大作3部作「雪」「月」「花」はじめ多くの肉筆画を描き、その多くが所在不明だった。2年半の限られた調査期間、離散した善野家の子孫を探し、浮世絵研究家や浮世絵商を訪ね、文献調査を重ね、3部作で唯一、行方不明だった「雪」をはじめ複数の肉筆画の有力情報を耳にする。


 第1話
 ファックスの着信音が妙に気にかかった。
 所管する警察からの事件事故をはじめ、市町、企業、一般からの情報提供が昼夜を分かたず舞い込み、事務所内に着信音とともに記録紙が送り出される乾いた音が催促するように鳴り響く。
 江上はキーボードを叩く手を休めた。椅子を回転させ、真後ろにあるファックス複合機の受信トレーに手を伸ばした。
 表題に、
 ーー社員の皆様へ 選択定年制特別措置のお知らせについて
 と、ある。
(本気なのか、会社は)
 江上は口元を歪めた。
 通知には抜本的なコスト構造の改革の一環とあり、時限措置として既定の退職金の一層の割増しと引き換えに、退職期日は年度途中、4か月後の9月末日としていた。
 対象は45歳から58歳の社員で、募集人員は12人。募集期間は1か月後の6月末で、退職期日は9月末日。優遇措置として、最大2000万円の割増退職金が支払われる。希望者は所定の申請書で本社総務部に提出するよう記載されていた。
 新聞業界の経営環境はネット進展に伴う購読者や広告収入の減少で厳しさを増し、江上の勤務する地方紙の栃木新報もその例に漏れなかった。同業他社の動向をなぞるように賃金や福利厚生の抑制などリストラ策を次々と打ち出し、3年前には印刷部門の別会社化に踏み切った。今回の人員整理の対象は全部局、全社員に拡大されたことになる。
「支社長、どうしたんですか。何か、事件事故でも、警察からの広報ですか」
 真向いに座る部下の後藤田が席を立った。
「いや、警察からじゃない。会社からこんな連絡が届いて」
 江上はそのファックスを彼女に手渡した。
「えっ、噂には聞いてましたけど、本当にやるんですね。希望退職のようだけど、これってリストラでしょう。しかも九月末に辞めろだなんて、あまりにも急で。支社長、そうじゃありません」
「まあ、急っていえば、急だな」
「従業員を切り捨てる前に、できることはもっとあるんじゃないでしょうか。人件費以外の経費節減もあるだろうし、なにより増収策を考えるべきだと思うんですが」
「そうだな、でも、上の連中はそう判断したんだからしょうがない。それにあくまで希望者だろ」
「そうですけど、対象が45歳から58歳では、ほとんど家族持ちで辞めたくても辞めれれないだろうし。それで誰も募集に応じなかったら、目論み通りのリストラにならないのに」
「その時はまた、経営判断するんだろう」
「この前、印刷職場の社員を辞めさせたのに。それで支社長だって……。企業は人なり、人材こそ企業の財産じゃないのかしら」
 後藤田は言葉を濁し、視線を落とした。
 栃木支社は中間管理職で社歴28年の江上と、記者歴13年の後藤田の2人だ。垂れ込めた重い空気は一刻も早く振り払いたい。彼女からファックスを受け取ると、彼は話題を切り替えた。
「そうだ、来月の企画案はどうしようか?テーマは決まった?」
「そうだ、今度は私の番ですね。なかなか面白いネタが思いつかなくて。早く決めとかないと、またデスクに催促されちゃな」
「前回は俺が懸案の市町合併を取り上げて、その前は小中学校の統廃合問題だったな。ちょっと固い話題が続いているな」
「今年初めでしたか、支社長の取り上げた旧県庁堀のクロメダカの話題みたいな柔らかい街ダネがいいんですけど」
 栃木県南部版では足利、佐野、栃木、小山の各支社が週1回、持ち回りで特集記事「ズームアップ」を担当。タイムリーではなかったり、内容が複雑で通常の生記事では取り上げづらい話題について、再取材し、掘り下げた内容に仕上げて紙面掲載する。やりがいはあるが、面白いネタはそう転がっていない。アンテナを高くして、日々、足で稼ぎ情報収集にどん欲になることがカギになる。
「じゃあ、どうだろう。取材は大変かもしれないが、一つ面白い話題はあるんだが」
「何ですか、その話題は」
 後藤田は愛らしい二重の両目を見開き、身を乗り出した。
「歌麿だよ」
「喜多川歌麿ですか、浮世絵の。そうだ、栃木市と関係があるんでしたよね。以前、肉筆画が見つかって」
「女達磨図のことだろう。あれは俺が取材したんだ」
「そうでしたか」
 2年前の平成19(2007)年、江上が栃木支社に着任したその年の秋だった。夕方のNHKニュースで報道され、彼は慌てて市の担当課や郷土史家らを追いかけ取材し、所有者宅を突き止め、翌日の紙面に間に合わせた。後藤田は今年春、着任したばかりで、当時の様子を知る由もなかった。
「特オチの追いかけって、辛いですよね。何か、取材先で笑われているような気もして」
「そう、そう。あの時はNHKだけで、他の新聞社も抜かれた同士だったから、まだ少しは救われたけど」
 地元紙にとって、他の報道機関にスクープされることは致命傷だ。記者の技量を疑われ、その後の異動、昇任昇格にも響く。
「それで、歌麿ですよね。すごく面白そうですね」
「あれ以来、手つかずだし、掘り下げ取材しなきゃと思っていたんだ」
「教科書にも載っている世界の歌麿ですものね。栃木市と関係があるなんて、なんかワクワクしますね」
「よし、今回は2人で手分けして取材してみるか」
「本当ですか、助かります。いろいろ教えて下さい」
                         第2話に続く。
 第2話:Every dog has his day.②|磨知 亨/Machi Akira (note.com)
 第3話:Every dog has his day.③|磨知 亨/Machi Akira (note.com)
 第4話:Every dog has his day.④|磨知 亨/Machi Akira (note.com)
 第5話:Every dog has his day.⑤|磨知 亨/Machi Akira (note.com)


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