小説「或る日の北斎」8
「富嶽よ」
「富嶽?富嶽なら錦絵や挿絵にこれまで何度も描いてきたでしょう。先生程の腕をお持ちなら、何も思い悩むこともありますまい」
「なら、いいんだけどよ。そうもいかねえのよ。富嶽を描き尽くせって大層な注文で、とりあえず36図を仕上げなくちゃならねえ」
「36枚仕立てとは、そりゃ壮大ですね。それは先生にとっても永寿堂にとっても一大勝負ってわけで。江戸っ子がたまげますでしょう」
「まあな」
「どうしたんです、乗り気じゃないように見受けられますが。36図はもちろん大変でしょうが、