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 報道そのものは自らの思想・信条というよりも主に事実を伝達するものであるが、憲法学では一般に「報道の自由」は【表現の自由】に含まれるとされる。電波メディアによる報道の自由を、とくに「放送の自由」と呼ぶことがある。
 報道は単に生の事実を右から左に移動させるものではなく、内容編集という知的作業を伴うもので、そこには必然的によくも悪くも送り手の意見が反映される。また、報道が国民の【知る権利】に資し、民主的判断の原資となるものだからである。
 最高裁は【博多駅テレビフィルム提出命令事件】で、「報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕する」ものであると指摘している通りである。

 報道に伴う各行為についてその規制の可否が争われた事件は幾つもあり、それぞれ【取材の自由】【取材源秘匿の自由】などとして主張されているが、これらが報道の自由に「含まれる」かどうかはともかく「憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いする」(前出博多駅テレビフィルム提出命令事件最高裁判決)であることは間違いない。

 2021年6月、北海道新聞の記者が、旭川医科大学構内に不法侵入し、非公開の学長選考会議を盗聴していたところ発見した職員に私人逮捕される事案が発生した。同大学ではコロナウイルス感染拡大防止のため、終了後の会見まで取材は断るむね報道各社に連絡していた。
 このニュースに、ジャーナリズム(特に新聞)関係者がSNS上で一斉に記者擁護論を発信したが、逆にそれ以外の一般アカウントにさらに多くの批判を浴びる事態となり「報道の自由」がツイッターのトレンド入りを果たした。

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