見出し画像

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法第21条

 日本国憲法において「思想・良心の自由」「信教の自由」「学問の自由」とならぶ精神的自由権のひとつ。
 諸外国の憲法では、集会・結社の自由と言論出版の自由は別々に書かれていることが多いが、日本国憲法ではあらゆる手段による「表現の自由」を一括して第21条で保障している。 表現の自由には大別して2つの価値があるとされ、ひとつは個人の自己実現としての価値。もうひとつは民主政治を支える手段としての価値である。
 すなわち表現の自由は、ただ表現する満足感を得たりそれによって収入を得るという個人の利益だけではなく、民主制度そのものの基礎であるという特徴がある。
 つまり表現の自由の制約は、その制約自体への民主的チェックをも阻害するという点で問題の大きいものであり、その実施については特に慎重でなければならないとされている。
 たとえば「わいせつ図画頒布」で刑法175条違反に問われた人は、その図画を実際に人々に公開し、それが本当にわいせつかどうか、禁止に値するか世論に問うことができない。そのようなことをすれば、それ自体がふたたび175条違反で処罰の対象となるからである。
 したがって人権の中でも表現の自由を含む「精神的自由権」の制約は、経済的自由権の場合よりもより慎重でなければならず、裁判所も違憲審査にあたってより厳格にその制約が妥当かどうかをチェックしなければならない。これを「二重の基準論」という。

 では実際に表現規制立法を違憲審査するときの「厳格な基準」とは何かについては、表現内容中立規制、事前抑制の理論、明確性の理論、「明白かつ現在の危険」の基準、LRAの基準、オブライエン・テスト、ブランデンバーグ法理などが考えられている。

 1791年のアメリカ合衆国憲法修正1条では「立法の禁止」という形で表現の自由を保障しており、これに基づく違憲認定は相当数にのぼる。

連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、 ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。

アメリカ合衆国憲法修正一条

 世界人権宣言は、表現の自由の重大な側面を明記している。

すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

世界人権宣言第十九条

すなわち表現の自由には「あらゆる手段により」「情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」のであり、情報はただいわゆる「ゾーニングは規制ではない論」が世界人権宣言から否定されていることが分かる。

表現の自由をめぐる著名な裁判例(日本)
・サンケイ新聞事件
・放送法四条の定める訂正放送請求事件
・博多駅テレビフィルム提出命令事件
・法廷メモ採取事件
・石井記者事件
・日本テレビビデオテープ押収事件
・TBSビデオテープ差押事件
・外務省秘密漏えい事件(西山記者事件)
・北方ジャーナル事件
・嘱託証人尋問証言拒否事件
・【サンデー娯楽事件】
・チャタレー事件
・「悪徳の栄え」事件
・「四畳半襖の下張」事件
・「夕刊和歌山時事」事件
・月刊ペン事件
・松文館事件
・岐阜県青少年保護条例事件
・家永教科書裁判
・徳島市公安条例事件
・メイプルソープ事件
・広島市暴走族追放条例事件
・屋外広告物条例事件
・選挙運動規制事件
・泉佐野市民会館事件
・東京都公安条例事件

参考リンク・資料:

 資料収集等、編纂費用捻出のための投げ銭をお願いします!↓

ここから先は

14字
この記事のみ ¥ 100

ライター業、連絡はDMでどうぞ。匿名・別名義での依頼も相談に乗ります。 一般コラム・ブログ・映画等レビュー・特撮好き。