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ヒトリトウキョウ#0 「ヒトリについて」


これから「一人東京生活の過ごし方」について綴るにあたり、「ヒトリ」について考えてみる。

「ヒトリ」

一人というのは、しばしば孤独、孤立、寂しさなど、一般的にネガティブとされる言葉を連想させる。一体誰がそんなイメージをつくったのだろう。確かに人間、特に日本のような農耕民族にとって集団生活は基本であり、群れに属することそれ自体が生を意味し、逆に属さず孤立することは死を意味しているからかもしれない。あるいは、種の保存という観点から、一人では子孫を残すこともできず、やがて血を絶やす存在ということから、負のイメージが纏わりついているのかもしれない。けれども現代を生きている私たち。生態系も少しずつ形を変え、動物的かつ支配的な世の中から徐々に人間味が増してきた21世紀。改めて「ヒトリ」という単位とその価値について見直してみてもいいのではないかと思う。

一人には一人特有の価値があるように思う。あまりにも雑音に塗れている現代、どれくらいの人が自分自身にきちんと向き合うことが出来ているだろうか。どれくらいの人が自分以外の誰かの意見や発言に左右されることなく、自分自身の言葉を語れているのだろうか。一人という時間は、自分が自分と対峙し、自分を丁寧に扱い、自分に新しい世界を覗かせてあげることができる、この上なく尊い時間。自分とその対象の間に他者が立ち入ることがなく、自分の内面から湧き上がる極めて純度が高い感情に触れることができる時間であると思う。

そうして人は形づくられていくことを現代の私たちは忘れてしまっているように思う。だから、「ヒトリ」でこの雑音多き「東京」を生きることについて、敢えて考えてみたい。

東京にあるフランス



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