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学校不適合者の人たち

朝から考え事が止まらない。

こういう時は逆に注意した方が良い。

僕は子供のころから癖がある、というか少し変な人間だった。

「探求心が強く、そのくせ目移りが激しく、たまに調子に乗る」

社会人になってみて明らかに社会不適合な人間に生まれたかを思い知ったが、もう今となっては遅い。

僕が通っていた小学校には「はぐるま学級」というクラスがあった。

平たく言うと障害のある子や、引きこもりの子をまとめたクラスである。

当時の僕はあまり理解していなかったので「変わったクラスだなぁ」と思っていたが、今となっては「はぐるま学級」について理解できるようになった。

はぐるま学級というのは恐らく親御さんが学校に「ウチの子を入れてくれ」と言って始まっているんだと思う。

学校側から「あなたの子供は何かしら障害があるはずなので」なんて口が裂けても言えないだろうし、そもそも子供のことを見分けられるような精神科医が学校にいるはずもない。

さらに小学1年生からでなくても入れるらしい。

僕の住んでた町は田舎のくせに人口だけは多かったため、毎年のようにクラス替えや転校、転入があった。

新しい学期になると全クラスの名簿が掲示板に貼りだされるのだが、その名簿を見て「〇〇君は今年からはぐるま学級なんだ」という知ることになる。

こういっちゃ本人には申し訳ないが僕からみて「普通の子」がはぐるま学級に移動していて、当時の僕はとても不思議な気持ちになった。

毎日ちゃんと朝から学校には来ているし、それなりに友達もいて問題行動を起こしているわけでもない。

小学1年生の時点ではぐるま学級に在籍する子というのは既に医者などから何かしらの障害判定を受けた「分かりやすい子」である。

しかし5年生など途中からはぐるま学級に移動する子というのは、恐らく親御さんの独断と偏見であるケースが多かったんじゃないかと思う。

興味深い話を思い出した。

途中からはぐるま学級に移動した子は、国語の授業で音読を命じられても上手く読めていなかった。

様子を見ていると漢字は理解しているらしい。

文字というより、

「文章のつながりが分からない」
「接続詞や疑問形が分からない」

というような「文脈をくみ取る」ことに難があるようだった。

大人になって初めて知ったのだが「境界性知能」というジャンルの人間がいるそうだ。

IQ70くらいの「日常生活は問題ないけど、理解力が弱かったり考え事が苦手な人」のことをそう呼ぶ。

教育機関を筆頭に「境界性知能の子供をどうのように扱うか?」という議題もあるらしく、驚くべきことに5人に1人の割合で存在しているらしい。

5人に1人というと自分たちの身の回りには必ず存在することになるし、症状から見て「障害」と言い切ってしまうのも難しい。

話を戻すと、はぐるま学級に移動していた子達は、もれなく境界性知能にも該当していた。

それから時が経ち高校生のときの話をしたいと思う。

僕が通っていた高校では、はぐるま学級のようなシステムは無かった。

はぐるま学級のことや障害持ちの子のことなんて、すっかり頭から抜けていたと思う。

しかしクラスメイトで謎の転校をする子が2,3人でてきた。

「親の転勤」
「素行が悪い」
「進路が変わった」

というわけでもなく、転校先を聞いてみると通信制の高校であることが共通していた。

彼らはもちろん僕が見る限り、障害があるわけでもないし、境界性知能ということでもなかった。

ただ彼らは口をそろえて、「学校になじめない」と言っていた。

友達もたくさんいるし部活にも入っていたが不思議なことに、「学校になじめない」と先生に相談していたらしい。

細かい話を聞くと、

「授業中に決まって居眠りをしてしまう」
「周りが静かに授業を受けていることに孤独感を感じる」
「生活リズムが不規則」

という感じで、たしかに知能の問題ではなさそうだ。

高校を卒業してから彼らと地元で会う機会があったが、皆それなりに元気そうに普通の人生を送っているようだ。

彼らにとってはあの時の転校が正解であったこと、あの時は一体何が起きていたのか逆に気になるくらいだ。

よく考えてみたら他人事ではないかもしれない。

僕も端から見たら変わった人間だったと思う節があるからだ。

まず日中の睡魔がひどかった。

どれだけ夜寝ていても、日中に眠くなり授業がままにならないことがあった。

一番大変だったのは定期テストの時間だ。

試験が始まると決まって眠くなり、何とか問題を解きたい所だが気付いたら机にうつ伏せになって寝てしまう。

先生からは「あいつもう終わったんか」と思われていただろう。

幸運なことに突然の睡魔は長くても30分くらいなので、試験終了10分くらい前には復活して大急ぎで答案用紙を埋めていた。

そのせいもあってか早く文字を書く癖がついてしまい、僕が書く文字は格段と汚くなっていった。

大人になった今では人前で文字を書くのが恥ずかしい。

スマホ社会になってうれしく思う。

さらに生まれたときから病気がちのため、フル出席で学校に通えるようになったのは中学3年生くらいだった。

学校に行けていない僕を心配してか両親が小学1年生から進研ゼミに入会してくれていた。

最低限の学力は進研ゼミに助けてもらい、後はひたすら色んな本を読み漁ってしのいだ。

もしかしたら僕もはぐるま学級に行くタイプの子供だったのかもしれない。

しかしここまで話してきて疑問が浮かんできた。

「今の学校の在り方はあれが限界なのだろうか」

同じ年齢の同じ地区にいる子供たちを一か所に集めて9年以上も同じレベルの学力をつけさせようとする義務教育に何か違和感を感じる。

大人になると良くも悪くも社会は自由で色んな人がいることを知るが、学生の頃は「学校の中で起きる出来事が人生の全て」と錯覚した人は多いんじゃないだろうか。

「テストの点が悪いと不真面目か障害のある子と思われる」
「頑張って努力することで良い結果が生まれる」
「友達が少ないと社交性が無いと心配される」

とても不気味だ。

ここに来て頭がボーっとしてきた。

変なことを考えるのは脳にとって不健康なのかもしれない。

脳と言っても肺や胃のように臓器の一種だろうから、異物が入ってくると拒否反応を起こすのかもしれない。

かくゆえ僕は病気だ。

子供のころからうつ病を患っている。

今でも放っておくと自殺願望が湧いてくるし、朝から体が動かないことも少なくない。

周りの人たちは気を遣って飲みや旅行に誘ってくれるが「それが出来ないから困っているんだ」と心の中で呟いている。

最初に入社した会社で一番お世話になったS部長がいる。

S部長の肩書は部長だが1500人くらいの会社のなかで実質的にナンバー3であった。

仕事が大変優秀なのはもちろん、部下や同僚に対して歯に着せぬ物言いをしていて、周りからは大変恐れられていた。

そんなS部長は何故か僕のことを気にかけてくれていた。

働く場所は本社と支店で離れているが、たまに会うと二人きりで飲みに連れて行ってくれたり、日中に2人で会社を抜け出して喫茶店に連れて行ってくれた。

僕が思うS部長の凄さは「同じ目線で話せる」ことだ。

年齢も肩書も能力も圧倒的に上にもかかわらず、僕の目線まで下げた話し方をしてくれる。

ただ優しいだけでは出来ない至難の業であったことは、今になって気付いた。

さらに僕の身に起こる多くの出来事はS部長の言った通りになる。

まるでボクシングで言うボディブローのように、1カ月、1年、3年経ってからじわじわと効いてくる。

S部長からは色んなことを教わったが「うつ病になるってことは感受性が強いんじゃないか?」というセリフが心に残っている。

「お前は何かと論理的に考えがちだが、きっとお前は考えない方が良い。
そうだな、これからは心と肌感を信じてみろ、考えるな、感じろ」

とも言われた。

その言葉を言われて5年後あたりから、ようやく言っている意味が分かるようになった。

そう僕も境界性知能である。

人と話していても相手の言っていることが理解できなかったり、

文章を間違えて解釈したり、

すぐに忘れっぽい、

規則的、協調的な活動が苦手で、

起床時間も自分で決められない、

頭で考えるような作業は苦手だが、

好きなことや興味があることに対しては、

人間がすり替わったかのように頭の回転が速くなり、

非凡な結果を残すことがある。

それゆえに周囲からは「頭が良い」「やる気がある」なんて誤解されるから、周囲のイメージと本当の自分のギャップに1人で苦しむことがある。

最近では就活用語でいう「総合職」「一般職」みたいな仕事には手を出さないようにしている。

自分が経営する弱小会社でも一般的な作業は従業員や外注先にお願いするように心がけている。

お金をバンバン出すような余裕がないからバランスを取らないといけないが、他の人に任せたほうが結果が良いことが多いことに気付いたからだ。

僕がやることは「みんながやりたくないこと」がメイン。

・炎上案件の処理
・意見が割れた際の最後の意思決定
・新しい金脈をゼロから開拓する作業
・周囲の人の評価
・業務改善とオペレーション構築

まさか自分が上記のようなことをするようになるとは今でも信じがたい。

社会不適合者は「学校不適合者」であり、社会に適応できている人がほとんどだと思う。

もし学校で疎外感や劣等感を感じているのであれば、「大丈夫」と一声くらいは掛けてあげたい。

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