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「仕事に行きたくない」に素直に従ったら全てが上手くいった話

「あー、どう足掻いても私は繊細さんとして生きていくしかなんだな」とまた最近よく感じさせられる出来事が多い。

これはきっとHSP(繊細さん)的にはあるあるの話なのかもしれないけれど、やっぱりどれだけ私いけるんじゃね?って思ったとしても結局私は『キャパが少ない』。体力のキャパ、心のキャパ、思考のキャパ。小さな小さな違和感を無視し続けたときに、無視し続けた結果、その小さな違和感はどこかに行ってくれたりすることはない。永遠に蓄積されているだけなのである。その瞬間は本当に小さい小さい違和感だったとしても、塵も積もれば山となるとはまさにこれのことだとしか思えないくらい、エベレストの如く大きくなって自分に襲いかかってくる。

最近ある出来事があった。とあるお仕事の依頼を受けていた私たち夫婦。そのお仕事の当日になって、朝目が覚めた瞬間にわたしの中にいる小さな私から出てきた言葉は「行きたくない」。この子の声を聞いていると、いやもう本当に行きたくないらしい。ゴネているとかじゃなくてもう叫んでる。でも実際の私は「は?何いうてんの。ずっと前から日程も決めて、やり取りもしてきて、今日になって行きたくないは通用しないよ。それはただのわがままだよ。」と言い聞かせている。仕事に向かう車の中で、ずっと私自身と私の中の私との会話が繰り広げられている。

ちなみに結論から言うと、色々調整して、結果行かないという決断をしたわけだけれども、この本音に従う行為をしたことで気づけることがものすごいたくさんあったし、結果この決断をして本当によかったと思うことになる。まず、全ての根源になったのは「そもそもその仕事を入れてしまったこと。受託してしまったこと」である。というのも、数ヶ月前にその仕事の依頼の連絡がきたときの私は、さっきも話したようなTHE・小さな違和感をもうすでに思いっきり感じていたから。

どんな違和感かと説明させたら永遠に話せてしまいそうなので割愛するけれど、今思えばいろんなことが混ざり合って感じていた違和感がその時の私にはあった。クライアントさんと私たちの間にそのプロジェクトへの想いの違いを感じてしまっていたり、ものつくりをする上での価値観の前提が全く違うのを知っていたり。そしてその案件とは全く別の話ではあるけれど、ちょうどその仕事の前後がものすごくスケジュールが詰まっていて全く余裕がなかったり(ちなみに私にとっての『詰まっている』とはその日ではなく前日と次の日に予定があるだけでも『詰まっている』ことになる)、普通に生理前でものすごいピリピリしていたり。いろんな状況が度々重なって、ものすごい違和感の大きさになっていたのだ。

仕事の依頼をいただいた当初に感じていた「んーまあいいか」くらいの違和感が、結果当日は泣き喚いて仕事に行きたくないと叫ぶくらいの違和感に膨れ上がっていたのである。子供か!って感じだけれど、それが本当の私だった。もちろん思いっきり頭を切り替えて、仕事に向かうことが間違いなくできた。私も一応大人である。でも、そんな状態の自分でどうしても仕事に取り組みたくなかった。迷惑はかけてしまうかもしれないけれど、そんな私が現場にいる方がむしろ迷惑になってしまう。そう思った。

行かない決断をして本当によかったのだろうかと後からも思い悩んでいたが、ところがどっこい。結果、私がいなくても現場は何も問題なく進み(むしろ私がいるときよりスムーズに)、そして驚くことに、終了してから期待していなかった追加でのお支払いまで頂いた。これはどういうことか。まさか「これでよかったってことか…」と私は思った。

自分の感覚に従うことは、本当に怖い。なぜならそれは時にこうして人に大きく迷惑をかけてしまうことが大いにあるから。自分の本当の心の声は、現実世界がどうとか関係なく、『本当の』声を上げ続ける。現実世界をうまく行かせるためにはこの声を無視しして、「こうすべき」をするのがいいように思えることもあるけれど、この『本当の』声に耳を傾けてそれを基準に動いていくことで、むしろ現実世界まで自分が本当に生きやすい世界になっていくのを、私は今回感じることができた。今回のこと以外でも、最近こういうことが増えている。やっぱり、私の中の私の声は、私の大切な道しるべなのかもしれない。

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