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みぞおち辺りのまっくろくろすけ

気がついたら30分も経っていた。別に瞑想しようと思って始めたとかでは一切なく、ただただぼーっと、出たり入ったりする自分の呼吸を追っていたら、いつの間にか30分経過していた。

いつも瞑想しようと思って始めても5〜10分くらいがちょうどよくて、長い時間瞑想することはほぼない私なのだけれど、自分の呼吸に集中してるのが心地良すぎて、時間が経つのがあっという間だったみたい。

ただ、心地よくて抜けられなかったのと同時に、定期的にやってくる心のざわつきを一生懸命鎮めていた、というのも事実である。

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別に何かが不安なわけではない。何かを恐れているわけでもない。もやもやしてるのともまたちょっと違う。ただただ原因不明の「ざわつき」が、わたしのみぞおち辺りにチラつく。このざわつきに名前をつけるとしたら、まっくろくろすけとでもいうべきか。特に意味もなく、ただただざわざわ、さわさわとあちこち移動しまくる。見つけた!と思って潰そうと思うと、メイちゃんの手の平みたいにすすが付くだけで正体はわからないまま。しかもまあまあの数がいる。

そんなまっくろくろすけたちを追い払うべく、わたしは一生懸命「呼吸」という身体の中、そして心の中の「換気」をしていたわけだ。まっくろくろすけは特に悪さをするわけではない。ただそこにいて、ざわざわと移動してるだけ。わたしがわーっはっは!と大笑いすると、そこから自然と出ていくのも知ってはいる。でも、このまっくろくろすけはわたしの中から生まれたものであって他から住みついてきたわけではないし、特に無理矢理大笑いをして追い出したいわけでも、つまみ出したい存在でもない。自然と生まれて、自然と出ていく、それを繰り返していたいだけだ。

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この子たちの正体はなんなんだろう、どんなところに発生するんだろう。そんなことを考えては悩んでを繰り返していた時もあった。この子たちと面と向かって話してみたい、「どうしてそんなにわたしをざわざわさせるの?」と問うてみたい、そんな気持ちになっては無理矢理につまみ出して話し合ってみようとも試みた。それでもこの子たちは永遠に正体を教えてはくれない。こちらが答えを求めれば求めるほど、サワサワざわざわとどこまでも逃げていく。

追えば追うほど逃げる、それはきっともう何に置いても同じな自然の摂理というものなのだろう。真正面から追いかけているうちは、間違いなく永遠にわたしの中から成仏してはくれない。

そんなことに気がついてからは、追いかけるのを一切やめ、ただただ存在を感じながら深く長く呼吸することにしてみている。それを続けるうちに、無理矢理大笑いをしなくとも自然とまっくろくろすけたちは、ゆっくり、少しずつわたしの中から出ていく。いつでもまた生まれる時は好きに生まれてきたらいい。拒絶することなく、反発することなく、その存在をそこにただ感じているだけで、わたしの中はただただ平和になっていく。

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まっくろくろすけたちが出ていくと、彼らがいたスペースが急に吸引力を持ち始める。彼らがそこに何かを生み出していったわけではないし、何かを持って入ってきたわけではないけれど、彼らがいなくなったその空間・隙間に、何だかわたしにとって、これからとても大事になるであろうものが吸い寄せられてくる、というのもいつものことだったりする。

余白、スペースがなければ入ってくるものも入ってこれないのを知っているかのように、まっくろくろすけはわたしの中にただただ余白を作って出ていく。面白いことに、その余白の持つ吸引力に引き寄せられたかのように、いろんな仕事に繋がるアイデアが浮かんできたり、面白い出会いが舞い込んできたりするのである。そしてその余白に入ってきたインスピレーション通り動いてみることで、自分自身の生きる世界が変わってしまったかの如く、人生が動き出すのも、これまたいつものことなのである。

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わたしの中に突如姿を現わすこの原因不明のざわつき、通称まっくろくろすけは、きっと本人たちの意図しないところでわたしの人生を大きく変える一端を担っている。このまっくろくろすけたちを、無理矢理大笑いすることで追い出して強制退去に促すのではなく、彼らがいることを受け入れ、そのまま感じて自然と心地よく出ていくのを待ってあげることで、そこから起きる人生の変化がスルスルっと負荷なく進んでいくことに繋がっているのだと、この子たちがもたらしてくれている変化を何度も体感してきたからこそ感じられるようになってきていて、何だか嬉しく思う。

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