日記 2022/11/13-11/19

11/13(日)

まったく何も書くことがない日もそれはあるだろうし、その理由を特に何もしていないからだと言ったって構わないではないか。
僕たちは成果というものに囚われ過ぎている。
僕は今日、何も生み出さなかったし、誰のことも考えなかった。
僕は今日、いつものように息の詰まる、断食中の修行者のような、叫びたくなるような思いをしなかった。
それ以外に望むことが他にあるだろうか。

11/14(月)

僕の運動は呼吸と歩行。
寝息と深呼吸と過呼吸。
部屋と近所と職場の徘徊。
これほど不必要に動かないひとも珍しいだろう。
そしてまだ生きているのも不思議なくらいにはくたびれている。
もっと身体性のある文章を書きたいと考えていた頃に、おや、自分の書く文章どころか、僕自身が全く身体性に乏しいではないかと気づいた、気づいてからは気にするのもやめた。そういうのが流行っていたんだと思う。
呼吸と歩行について、もっと真剣に考えられる時間を手に入れる必要がある。

11/15(火)

ある程度忙しいという状態に慣れてくると、いつのまにか忙しいという感覚よりも働いていることが続いていて休まらないという、なんともある種の快感めいた状態にあることさえ感じてしまうことがある。
ところが、これがさらに続いていくと、いつしか頭が回転しなくなってきたのをにわかに感じてきて、ついには何も考えられないという、何もかもが嫌になるという、残業中だなぁという、あの状態に陥る。
あれこそが真に忙しいということなのかもしれない。
忙しいというのはつまり順番がない状態のことで、ひとつの系でエントロピーが増大しているのと同じだ。

11/16(水)

テレワークで忙しいと、なんかもう身体が変になりそう。全部の関節の歯車がなんだかんだ噛み合ってないような、遊びの部分、余白が多くて、こっちが動かそうとして、動いてるのに動いてない、余白の中で動いてるだけで実際には動いていない。なんかそんな感じ。これがテレワークか。たしかにその場で動けていない、働けていない。

11/17(木)

会社で毎日体験していることを正直に書いておこう。
僕は朝も昼も食べない。
仕事中の飲み物の量は人に比べてとても少ない。でも全然食べてないから、すぐにお腹を下す。
午後はほとんど家に帰るまでずっと下している。驚かれるかもしれないけれど、ほとんど一年中そうだ。
なぜそうなのか。
なぜそうでなければならないのか。
もちろん理由がある。
ほとんどの問題には原因がある。
しかしいくつかの問題には解決する術がない。こんなことは世の中にたくさんある。
僕はそれでいいと思う。
他人を意識から外せば、すべて落着する。

11/18(金)

生命は鳥瞰できず、一点から発生するのだと。
蜂の巣は端の方は潰れていることがあるのだと。
なんて美しい話だろう。
僕がやるべきことは周囲のひとたちの気持ちを想像して共感することで人間関係をよくする、というようなことではなく、周縁の草花や鳥や魚の様子に目を向けて、身体性を上げることだ。
孤独を極めることだ。

11/19(土)

僕はおもしろい頑固ジジイになりたい。
自分の好きな世界、ニッチな沼を泳ぐ小さな山椒魚になりたい。
穴蔵に潜み、コミニュケーションは最小限がいい。
かと言って、しかし決して保守的でない、そんなジジイになりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?