日記 2022/08/07-13
08/07(日)
工学的な規則、産業上の規格、再現性。
枠のなかで行ったり来たりしているとはみ出したくなる。予想できない動きをする生命に触れたくなる。だからあのひとは魚を釣り、僕は鳥を追いかける。背景にはいつも植物がある。
植物は花粉なり種子を飛ばすために動く。ゆっくり動く。虫のために花を咲かせ、鳥のために実を結ぶ。鳥が飛ぶとハッとする。これがいい。パズルのピースが埋まる達成感より思いがけず知恵の輪が解けたときの感動がある。
08/08(月)
昨日、定期点検してもらった自転車が、今朝、出勤しようとするとパンクしていた。
いま、とても眠いから、たくさん働いたのだと思う。
明日、僕とまわりのひとたちがパンクしませんように。
08/09(火)
中井久夫さんが亡くなったらしい。
"知る"といういとなみを独りで続けていきたい。
彼の言葉を借りれば "権力欲はサルでも持っていて、知識欲は人間で発達した" から。
すごいひとが亡くなり、しようもない僕は自転車のパンクを修理したので元気だ。
08/10(水)
ファシリテーションを議論の場で調整業務のように扱いがちだが、本来は合意形成のための支援活動のはずだ。
ファシリテーターとなるとそれはもう役割だからただ没頭すれば良いのだけど、現実はこちらもあちらもそれぞれに思惑があり、それでもなんとか折衷案に落とそうと苦しむ。
役割が方法・行為になった途端に難しくなる。
08/11(木)
前のプロジェクトの承認が下り次第、今のプロジェクトを申請しなければいけない。薬事承認と量産適用のズレを経営陣は許さないだろう。
今日も課長と二人で副社長から「どうなってるんだ」と痺れを切らしたように迫られた。
いつも考えている。僕たちはひとの身体を開いて中身を切ったり焼いたりするモノを作っているのだ。
08/12(金)
チームだけでなく周辺、開発部内でバタバタとメンバーが倒れていく。ドミノ倒しのようだ。
慣れは反応を鈍くする。
これが第1波だったらとんでもない騒ぎだったろう。しかしこんなことに果たして慣れてしまっていいのか。伝染病の流行の過渡期というのはコレラの時代も似たようなものだったのか。大きな流れに対してひとは見ていることしかできない。
08/13(土)
ある面において自分が自分の理想からもっとも離れたところにいることを肯定しなければいけない。これはたいへん難しいことだが、一方で世俗から離れられて美しいことだ。
大きな流れを受け入れて、決して身を任せるのではなく、屹立していたい。
ときにマインドフルネスなどはルーチン化して採り入れるべきだ。
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