hitoridebun

文章好き。俺が読んでいて楽しく、俺が参考になるモノを俺が書くことにする。つまり、ままご…

hitoridebun

文章好き。俺が読んでいて楽しく、俺が参考になるモノを俺が書くことにする。つまり、ままごと。

最近の記事

ikari

なくそうとしてなくせない、あってもしょうもない「怒り」。感情だから仕方ないとしてもどうにか日頃から殺してしまうための工夫をしている。 原因は様々に、主に不合理な理由で不利益を受けた時に怒ってしまうわけだけれど、何か解決するまでなくただ疲れてしまうだけ。メリット、自分の成長なんて程遠くそうした後はやるべきこともできないで寝込むことが俺は多い。 相手に仕返しをすればスッキリするなんて意見もよく分からず、怒りを振り撒けば気まづいだけの、何かが壊れたような感覚しか残らない。だけれ

    • kimoi

      「キモい」なんて誰からも嫌われるもので、自分でもそれは避けたいものだったと思っていたものは「自分」だったのかもしれない。 基本的に人前で「自分」を出すのは恥ずかしいと思う派だった。大きな失敗をすればそれこそ一日中死にたくなり、常識めいたことをすればとりあえずは誰からも何も言われないもの、正解として、それぞれ好みで何かと批判されやすい「自分」はキモいものとしていた。恥ずかしいものとして可能限り人前に出さないための分かりやすい目印にしていた。 だから最近は、「キモい」部分を出

      • syumi

        気分は、生活を送る中で大切にしていて、「自分」そのものだと思っている。理性よりも本能的なもので上がるも下がるも法則はなく振り回されることもあるけれど、常識が絡まない純粋な自分であるような気がして、それを中心に程よくアガり行動自体を楽しんでいれば内容はいつも「自分」が濃くなり、その結果は洗練もされている。 文章なんて特にそう。無理に何か、誰かのために書いた文は書きながら、読んでみても面白くなく、それはどこかで読んだようなものばかり。逆に文に気分が乗った、感情が走ったような文は

        • ruuru

          おかしいことに歳を取れば取るほど、「ルール」がうざいなと感じるようになっている。もちろん法律などの大前提は置いておいて、ここで言うのは世間や他人の常識となっているもの。本来は守らなくてもいいのに、守らないと非常識として扱われるようなもの。 何故か常識は守るものとして当然になっているけれど、その常識も誰かが勝手に決めたもので、それを信頼する人の人数がたまたま多かった、根拠もそれほどないいい加減なものも多い。 科学的根拠が一番だ、なんてことも言うつもりもなく、それも時代と共に

          sutetamono

          生活を送っていると「今日は何食べようかな」「何時に寝るかな」なんて小さなことからいくつもの選択をして、その積み重ねの「今」に現在着地しているわけだけれど、例えばあの時違う選択肢をしていればもっと違う「今」があったのか。 もちろん、人一人の選択が大きな意味をもつことなんてそうそうなくて、他人の援助、環境、タイミング、運など多くの偶然が重なって現実に変化を起こす。ただ自分の人生においては自分の選択が思わぬ結果を起こすことがある。 あの時こうしていれば。俺も年に数回そう思うこと

          taisitakotononai

          朝から、将来のことなんて難しいことを考えすぎた。これはいけないな、と思い今日も大したことのない日常を取り組もうと思考は前向きにする。 大したことのない。これが俺の1番のまじないで、「人間誰しも大したことのない存在なんだからできる限りで頑張ろうぜ」を意味している。妙に落ち着くし、身の丈に合わない不安も取り除かれ生活はまた営めるようになる。 最近、文章が主のSNSが結構好きで、頭蓋骨を打ち抜かれる文章を探して味わい自分をハイにさせることを趣味に追加している。その分というか、デ

          taisitakotononai

          sentaku

          基本的には進む道は時間の流れに任せて、自ら選ぶタイプの生き方ではなかったのだけど、時には自ら選んで、というか徐々にそうすることは多くなって、最もそうして良かったと今に思うのが、自分に向いていないことを全てやめてしまうことだった。 その一つが仕事で、その仕事もわざわざ大学に入り直して手に入れた職種であったけれど働いていて毎日が苦しかった。自分に向いていないと認めるまで時間は掛かり、同時に今までの努力も無駄だったとも認めたくはなかった俺はどうにかしがみついていた。 結局は、人

          kusaru

          競争に興味がない。競争するのであれば、過去の自分で、文章であれば極力過去に使用した表現は使用せずに、「創らない」の繰り返しから、どこかしら腐らないようにする。 腐るのは「自分」。自分の方法で自分を研ぎ、その上楽しく、疲れれば何がなんでも休んでペースすら崩れないような自己中心的さに軸を置く。 最大の敵は羞恥心だろうな。自分の行動が恥ずかしいと思ってしまえばすぐに常識化してしまう。批判や嫌悪を避けるための防衛だけれど、結局自分は少しつづ地中に埋まってしまい誰の目にも止まらなく

          kiseki

          とにかく生きてると複雑極まりないので、単純に奇跡を起こそうと思った。 自分にとっての奇跡というのは、何かしらの力により周囲を自分のありたい世界にすることで好き勝手に生きれるということ。より具体的には家族は健康で、俺は文章を書き続けられ、時々旅行に行ける生活になること。すぐに思いつのは時間と金が必要だ。 そのために仕事をしているわけだけれど、時間は当然なくなり、家族もそれぞれの仕事、勉強があって周囲のサポートを互いにしながら時々は無理をして生活を成り立たせる。でも、ちょっと

          nobiru

          まだ表現できる。 そんな気がしてダラダラと文章を書き続けている。ダラダラは自分のペースとして中核で、「毎日何文字以上書く!」みたいな、好きとは程遠い課題としての文章に変わり果てずに継続できている。自分の好きなものを自分の歩調で歩けば、いつまでたっても疲れないのだから、「好き」はこれから先も文章の先で望む表現として伸びていく。 何かで読んだけれど、スラスラ書けているときは注意した方がいいらしい。慣れで書いているだけの、読み手のことも特に考えない浅いものになるかもしれないと。

          renai

          俺は幸福なことに、人並みに恋愛ができた。 ところで男の恋愛は「名前をつけて保存」なんて言い、「上書き保存」の女性より引きずりやすいなんて言われる。確かにそうかもしれないけれど、引きずっていてもよくないか、とは思う。引きずり方によってはいつでも思い出せるアルバムなわけで、思い出は勝手に美化はされるし、現実と違って時間も止まるので、最高なままだ。 時間が過ぎて、どうしても歳を取っていけば細部は思い出せなくなっていくけれど、いつでもどこでもその時の印象的な情景は思い出せる。思い

          zyousiki

          共感は過ぎれば妄想にもなって、「どうせ俺の事なんかよく想っていないのだろうな」と不貞腐れる習慣にもなりやすいのでやめてしまった。こちらから確認できるのは右手を挙げるなどの人の物理的な行動のみで気持ちはいくら説明しようが証明はできない。そして、人の行動よりも、自分の行動を確認していた方が生活は濃くなり、遥かに気持ちは晴れてくるので他人自体気にしない、という結論に至りつつある。 「それでは誰にも必要とされないんじゃないか」なんて不安も、何を言っているんだ?元々そんなに必要とされ

          sukinamono

          文章が好きで、上手くなろうとそれに関係した本を何冊も読んできたけれど全てパッとしなかった。 それはその本の内容と著者が悪いわけじゃない。俺が、書いてある内容通りにできないと思った。上達しようと何度も試行して出来上がったのは真似したものの劣化版。技術をいくらつけても本物に敵うわけでもなく、書いてできあがったものは本気で好きになれなかった。 当然のことだった。自分で自分の好きなことを考えて作ったわけでなく、誰かの作り方に合わせて書くことは「働いている」に変わりない。「働くこと

          baka

          おじさんになれば、浮気相手なんてもちろん、友人でさえ要らないんじゃないかって思う。 歳のせいか、社会に疲れてなのか、変態なのか誰かといるより一人でいる方が楽しく、例え誰かといるとしてもそれは家族だけでいい。退職した後は特にやることもなく、誰かとつるむこともなくなってただ一人でいる人の話もそれは「自然」じゃないか。 とにかく一人でいたい。街中も面倒で人で溢れかえる祭りなどのイベントなんてもっての他だ。家族が行きたいから仕方なく行くだけで、本当は山中の秘湯にでも入って麦茶と一

          kimoti-ii

          今日も朝が気持ちいい。猛暑で通勤の道が渋滞していても朝は気持ちいいのである。 「気持ちいい」とはっきり言えるものが身の回りに増えれば俺の日常生活もさらに穏やかになると思った。基本それは自分が好きなものにあって、朝以外に、文章、コーヒー、肉くらいしか今は思いつかない。コーヒーは毎日嗜んでいて、肉も安いものであるけれどほぼ毎日食べれている。文章ももちろん書くか読むかしていて、思いつく「良いんもの」はある程度生活で楽しめている。 好きなものを増やしたい。できれば持ち運べるもので

          kuhuu

          どんな理由でも何かに怒ること自体がストレスの大部分を担っているなと最近やっと気づいて、怒りに着火しやすい「イライラ」をできるだけ避ける生活をしている。イライラを感じやすくさせているのは不眠や疲労などの体調面の不良と先の不安や悲観などの自らの考え方によって起こしている場合も多くて特に最近は「なにか楽しそうだな」という自分の中と周囲は和む雰囲気を鍵としている。 義務としての仕事も「何か嬉しいことが起きそうだな」と無理のない妄想をして、楽しいことが起きるかもしれないという前提で職