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sentaku

基本的には進む道は時間の流れに任せて、自ら選ぶタイプの生き方ではなかったのだけど、時には自ら選んで、というか徐々にそうすることは多くなって、最もそうして良かったと今に思うのが、自分に向いていないことを全てやめてしまうことだった。

その一つが仕事で、その仕事もわざわざ大学に入り直して手に入れた職種であったけれど働いていて毎日が苦しかった。自分に向いていないと認めるまで時間は掛かり、同時に今までの努力も無駄だったとも認めたくはなかった俺はどうにかしがみついていた。

結局は、人生でさえ無駄な時はあると理解してしまえば、すぐに楽になって元の職種が自分に向いていたのだとも実感でき仕事はすぐに整った。

今まで自分がしてきたことさえ否定することになっても自分でまた選択できればそれはどうでもよくなり注意は今に向かってまた先に動き出すことを知った。結果が共わないと選択は間違いだったと思いやすく自分で選択することさえやめてしまいがちだけれど、結果は本来どうしようもなく、選択の仕方に善悪もない。どんなに間違っていようが自分で選択していればよかったんだと思えるできごとでもあって、そして、自分でそうし続けていれば、自分が生活に反映されてより「楽しい」生き方になるのも間違いなかった。

とういうわけで、自分で選んでよかったことは結局「全て」になる。自分で選びさえすれば生活は継続される。誰かに選択を頼れば、またその人の思考と行動が必要になる。自分の人生でそうしていればどこかで続かなくなることが当然であって、自ら選択し続けるしかなかったんだよな、と嬉しくなる。

「大学に入り直して手に入れた職種」も経験にしてしまっている。まだ先にのある人生の一部にしてしまって良い土になってくれている。自分で選択していれば全てがそうなる。排泄物が肥料になるような、無駄なものさえ無駄ではなくす。

最近は他人への相談も必要ない気がしている。参考にすることは自由としてもせっかくある「自分らしさ」、言い換えれば「変態性」を変に常識化しないようしたいなとつくづく思う。

精進します。