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ikari

なくそうとしてなくせない、あってもしょうもない「怒り」。感情だから仕方ないとしてもどうにか日頃から殺してしまうための工夫をしている。

原因は様々に、主に不合理な理由で不利益を受けた時に怒ってしまうわけだけれど、何か解決するまでなくただ疲れてしまうだけ。メリット、自分の成長なんて程遠くそうした後はやるべきこともできないで寝込むことが俺は多い。

相手に仕返しをすればスッキリするなんて意見もよく分からず、怒りを振り撒けば気まづいだけの、何かが壊れたような感覚しか残らない。だけれどその感情の我慢も実際には難しく「どうしても復讐したいんだな」、と改めて人間自体残念に思う。

そもそも怒りとは、その感情で威嚇などして相手から自分や周囲を守るために備わったのだろうけど、現代社会では、法律や技術を駆使した冷静に適うわけもなく、なんならその表現は非難もされやすい。そして、怒らない人が圧倒的に楽しそうであること。

俺は楽しく生きていたい。怒りは一度でも発散してしまえば1日全てゴミにしてしまうので、やはり怒らないで、その感情は表現しないで生活していたい。無理なことなのか、遺伝子が仏並みに優しくなければもう終わっているのか。なら原因から逃げてしまえばいい。

「むかつく人」も悪き習慣も全て自分から離してしまえば怒ることも自然となくなる。それこそ無理か?仕事なんてその変えられない習慣の代表的なものだろうと。でも、仕事こそ「むかつく人」の巣窟でありやすく変えてしまえばガラッと生活は変化する。俺自身何度か転職してそれは経験済みだし、以外とどうにかなるものだと感じるばかりだ。正直言って、家族がそうである場合よりずっと離れやすく、どのようにもできる。

最終的には自分だけで生活を成り立たせてしまえばいい。数人の家族も養えるようになれば最高だ。歪な関係があるから腹は立つのであって、人がほとんど居ない田舎での自給自足でも、カフェ経営でも、個人事業主でも何でもいい。ただ金は目的にせず、あくまで俺の自由があってこその、自由から楽しさが溢れるように。

我儘だろうか。そんなことはない。何ならもう少しでできるような気がしている。根拠も計画もないけれど自分から怒りがなくなるような気がしている。これだけ自由を愛して、怒りを嫌ってるのは俺だけだろうし。怒りのない文もまた昇る。

精進します。