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baka

おじさんになれば、浮気相手なんてもちろん、友人でさえ要らないんじゃないかって思う。

歳のせいか、社会に疲れてなのか、変態なのか誰かといるより一人でいる方が楽しく、例え誰かといるとしてもそれは家族だけでいい。退職した後は特にやることもなく、誰かとつるむこともなくなってただ一人でいる人の話もそれは「自然」じゃないか。

とにかく一人でいたい。街中も面倒で人で溢れかえる祭りなどのイベントなんてもっての他だ。家族が行きたいから仕方なく行くだけで、本当は山中の秘湯にでも入って麦茶と一緒にあんこでも食っていたい。

家族もいて、友人も多くて、さらに浮気もしたいなんて人はもう意味が分からないし、理解も死ぬまで及ばない。好かれるようなことを言って良い人に見られたいなんて欲はなくただ人種が違うとしか思えない。家族と友人だけで忙しいだろうに、その上、皆にばれないように浮気するなんてクソ面倒な人間関係管理に死にたくなるだけだ。そんなのできるだけはしょって自由な、何も考えなくていい一人の時間を増やしていた方が良くないか。

そもそも俺は人が嫌いなのか。そんなことはなく、今の職業は医療系のゴリゴリに人と接する業務でありなんなら人は好きな方だ。向いていない仕事もあったがそれらは捨ててしまって残ったのが今就いている仕事。人が嫌いなら到底その仕事はやっていけない。

人と話すことは好きだ。特に面白いと思える人の一対一の会話は若い頃から好んでいて異性だろうが恥ずかしげもなく誘っていたし常識とかけ離れれるほどの会話は大変に盛り上がって朝まで話していたいと思った。流石に今ではそんな時間もないけれど機会があればまた変態達と話していたい。目的もなく海にいって車の中で三ツ矢サイダーでも飲みながらそうしていたい。

それじゃ、一人でいたい気持ちはいったいなんなんだ。いや、自分好みの人だけと一緒にいたくて、それが叶わないなら一人がいいんだ。まあ、なんて我儘なんでしょう。仕方ない、それが俺の本音だ。正直周りは「俺にとって」面白くない人が多くて関係することにも疲れてしまった所がある。それなら一人でいる方が楽しくて、一人でいることは実現することも過ごすことも楽だと知ってしまった。

書けば書くほどやばさ満点だが、書くことで整理ができた俺の気持ちはしっかりとスッキリしている。もちろん常識もいくらか持ち合わせていて俺を嫌いであれば関わることはないし、家族ができれば皆忙しくなるので家族優先で交流もする。昔は俺を好いてくれた変態が数人居てくれた。それなのに今では全く出会わない。年齢で丸くなったのか、人間関係が狭くて終わっているのか。

変態自体そうはいないし、さらに自分の好みの人となれば滅多にいないことは当然で出会う確率は少ないはずだけれどそれでも確実に昔と今では変態出会い頻度が減っている。一人でいる時間が多い弊害か。いや、学校など不特定多数と同じ立場で交流できる場所は卒業したとしても誰かと会う頻度仕事などで変わらない。だとすれば変態はどこへいった?

やはり皆歳を取ったんだ。誰かを何かを守るために常識を取り込んで自分をいくらか捨てる道を多くの人が選んだんじゃないか。その気持ちは理解できるし守るためにはより確実な方法だ。そして、そうした方が遥かに賢い。

でも寂しい。友人がいないことはどうでもよかったのに変態が周りからいなくなってしまったことは考えると少し寂しい。できれば家族に反対されでもやるべきことは全てやりながら今でも変態でいてほしかった。人の人生に何か言うことは烏滸がましいことではあるけれどたまにでも朝まで非常識を話す機会はあってほしかった。

友人の一人は真面目に働いている。金のため、家族のために堅実な方法で多くを得られて好きな人を守れるように社会に器用に入り込んだ。そして、本人は幸せそうで俺が何か言う必要性ももちろんない。

でも、俺は変態でいようと思った。理由は自分でもよく分からない。そういようと、そうとしか生きれないと思った。だから見事に歳だけはとって中身は変わらずに今を生きている。話は周囲と段々と合わなくなって置いてかれている気分も無視をしながら今を楽しもうとしている。大丈夫だ、やるべきことを全てやればいい。仕事も、家事も、育児も全てそうしてあとは突き進めば自分が成るはずだ。不安はもうない。

そういえば、世の中にはそうできている変態で天才がいる。ただならぬ不幸も恥も同時に乗り越えた人達だが、苦しんで多くを楽しんでいれば先に俺もそうなれるのかもしれない。何か残せるかとしれない。いや、誰にもならなくていい、自分に成るんだ。俺か好きなものを残すんだ。また天才になろうとしてたよ、危ない危ない。

精進します。