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sutetamono

生活を送っていると「今日は何食べようかな」「何時に寝るかな」なんて小さなことからいくつもの選択をして、その積み重ねの「今」に現在着地しているわけだけれど、例えばあの時違う選択肢をしていればもっと違う「今」があったのか。

もちろん、人一人の選択が大きな意味をもつことなんてそうそうなくて、他人の援助、環境、タイミング、運など多くの偶然が重なって現実に変化を起こす。ただ自分の人生においては自分の選択が思わぬ結果を起こすことがある。

あの時こうしていれば。俺も年に数回そう思うことがあって、決まって現在に嫌気がさしている時。あの時、あの選択を違う方にしていれば全く違った「今」があるんじゃないかと妄想したりする。確かに全く違っていただろう、と思う。俺のあの時選ばなかった選択肢は、仕事も家族も全て変えていただろうなと。

ただ何度過去に戻れたとしてもおそらく俺は同じ選択肢をして変わらぬ「今」に舞い戻る。それはあの時の俺と選択したものは「その時」の最善であって、今からすれば経験もないけれど考えに考えた、もしくは自分の感覚に従ってなしたもの。嫌気がさしたとしても、自分の最善の積み重ねが「今」にあることは変わらなかった。

それでももしも。何かの間違いで他方の選択がなされていたら「俺」はどうなっていただんだろうか。全く違った「俺」であって、今の「俺」では想像できないモノになっていたんだろうな、だから考えても分からない。確かめる方法ももちろんない。ずっと考え続けて妄想する時間になる。

縁にも興味がある。あの時失った選択肢も縁があればまたどこか出会う。それがなければ「縁」がなかったとも思える。やはり、失った選択は妄想だったんだと。縁の期限はどこまでなのか、死ぬまでに起こればいいのか知らないが、それならまだ、ほんの少し期待しながら今を生きていてもいいかも知れないが。

確かなことはもう時間は戻らない。そして最善の結果が自分の目の前に見える風景。それしか分からない。何が言いたいのかも、どう言う感情なのかももう分からないけれど、あの時俺が選ばなかった選択があったな、選ばずいくつも捨ててきたな、そして、これからも捨てる覚悟は持っておかなければいけないなと思った。俺が俺であるためには、捨て続けることが想像以上に必要だったと今は分かっている。それならもう捨てたものは。

精進します。