マックスバリューのサラダ

・マックスバリューのサラダ、多い割に付属のドレッシング少なくないですか
 今日はお昼にマックスバリューのサラダのサラダをたべた。前日に20%オフのシールが貼られていた。むこう一週間ほど不摂生でリズムの狂った生活をしていた。それを取り戻すように体にいい物をたべて、お水をがぶがぶのんでいる(すでに体に吸収されているので意味は無いのですがきもちの問題です…)マックスバリューのサラダの量、毎度思うけど量が多すぎるんだよな。それに比べて付属のドレッシングの量が少なすぎる。後半とかぼろぼろの糸たべているくらいの感覚。もさもさ。なんなんだ。

・パートナーについて
 わたしは現在の恋人のことが、いままでで一番好きで、出会った人の中でいちばん大きく価値観を変えてくれた人だと認識している。出会いこそ友人に誘われた飲みの場であった。一目惚れって本当にあるんだと思った。顔が、好み。顔が好き。なんなら顔の好きなところ一つ一つ書いていたらまとまりきらないと思う。論文書けるかも。自分が好意を抱く顔について論文書きたいな。まあ、彼を好きな理由は顔が大きな一つであるが、その他の部分も沢山ある。「彼のどこが好き」と、聞かれた時に「顔」と、だけ答えているのには伝えきれないほどの愛情と情熱と憎悪と、幸せと苦しみと、ぐちゃくちゃの感情が入り交ざるから、面倒くさくて「顔」とだけ答えている。もちろん、容姿端麗に価値は見出しているし、恋人の顔がタイプでは無ければ好きになっていなかったと思う。彼と出会った時には恋愛というフェーズ(文字に起こすとすごく気持ち悪いな)に興味はなくて、本当に友達に呼ばれて、あの場所に居なかったら彼と出会っていなかった。わたしは恋人の容姿に対して求めるものは少なく、「容姿」というのは自分の嗜好のランキングの中でも下位の方にいると思う。恋愛においての交際関係に関わらず人間関係についても容姿について固執することは少ない。相手に求めるものではないと思っているから。前述したように容姿端麗自体には価値を見出しているし、容姿は生まれながらにしての強いアドバンテージだと思う。「美しい」ということについての強みは、相手を知るためのチートされた第一段階だと捉えている。見た目が好みというだけで、長い時間をかけて作り出す感情や関係性を大きく超越するものであるし、それは一種の才能だと感じる。作りものだとしても彼を形成してきた過去の通過点に過ぎなくて、現状の美しさや相手が惹かれるものを作り出したのは他でもない彼である。美しさというのは人の目を引き付け、エンタメに昇華できるほどの時代。自分自身、自分の私生活を切り売りしたり、自分を商品として売りに出している側面がある。自分に価値を付けることは慣れているが、だからこそ彼の容姿を「価値」というものでくくってしまうのはなぜか違う気がする。彼の根本的な本質を好きになっていると感じることが日常であるからである。いつだって彼はわたしの考えにはなかったことを考えているし、それがすれ違いの原因でもあるが、考えてみると自分の持っていないものに人間は魅力を感じると。これに関してはエビデンスがあることから、価値観が少し互いにズレているほうが刺激的で色々な感情や考えがうまれることを、体験を通して彼から学んだ。
 過去の自分は彼氏の元恋人に執着していたり、過去記事にもあるように誰かの一番でならなくてはいけない、と常々感じていた。自分は常にだれかしらキープは居たし、余裕で浮気だってした。打算的にこの人に近づいて上の立場の人間と交流を持とうとしていたし、そのおかげで色々な体験をしたし、多少怖い思いだってした。だけれど、現在の自分を形成する上で、彼と付き合う前には必要な段階だったのかもしれないと感じる。だから過去の自分の経歴に恥じることはないし、隠すことだってない。彼に話は戻るが個、個人を形成する過程においても元恋人や家族関係、友人関係、彼を取り巻く全てはただの通過点に過ぎなくて彼を形成する一つであり、アイデンティティのひとつであると感じる。
 いまのわたしは彼の人生の全てだって知りたいし、アイデンティティのひとつになりたい。彼が彼である理由のひとつになりたい。わたしがわたしである理由のひとつに彼がいて、彼とこの先を見ていたいと感じる。私欲だけで関係を持ったり、煙草を吸って、多量のお酒を飲んで、ODして、ピアスを開けて、自分の為だけにどうにか生きてきた。うつ病で希死念慮が強く、医療保護入院や緊急入院まで受けた自分だからこそ、今は明確に「死ぬまで生きていたい」と感じるようになった。人生は太く短く、自分のしたいことだけしてさっさと死にたいと思っていた。彼に出会ってからは死にたいくらいに好きなんてあまったれたものではなくて、彼と幸せになって生きたいと思えるようになった。彼を誰よりも幸せにできる自信があるし、むしろ彼以外を幸せにできる自信なんてない。そして彼じゃないとわたしを幸せにしてもらえないという自信まである。
 久々にパソコンをで文字を打っているがキーボードをたたく音が脳みそを冷やしていて心地が良いです。(本当に関係ないですね)
 わたしはきみのことがこのくらい好きだけれどきみからの好きという言葉はどのくらい重たいんですか?わたしからの好きよりも軽くて飛んでしまうものなら最初から好きなんて言葉いらないです。昼職の人間達や「普通」の人達が手に入れてる幸せが手に入らなくても、彼から離れたくないし別れたくないしわたし一番幸せにできる自信がある。どす黒い感情とか、人間の汚いところすらも間違いなく彼なら愛せると思う。それほどまでに、彼のことが好きです。
 ・唯一という言葉の存在意義
 彼もわたしも絶対という言葉はないと思っている、と、思っている。少なからずわたしはそう思っている。わたしは「絶対」という言葉はなくても「唯一」という言葉だけは信じている。わたしは彼の唯一になりたい。彼の答えにわたしが成れれば嬉しい。唯一として彼の隣にわたしが存在して明日や未来を夢見るあなたを見ることができるのであればそれはどんなに嬉しいことだろうか。
 ・紡ぐ言葉
 わたしは彼の紡ぐ言葉が好きです。うつくしい言葉を紡いでいるとか、ポエムチックだとか、そういう話ではなくて、感情表現が苦手で(だとわたしは認識している)不器用な彼からうみだされる言葉は何よりも価値があって愛しいものだと感じる。彼からの「だいすきだよ」を享受できるうちは、存分に享受していきたい。間違いなく、その言葉はわたしだけの物だから。

・時間
 好きな人と居る時の雪って特別な気分になれて好きです。っていうTwitterバズ画像ではないのですが、彼と過ごす時間は特別で一瞬で過ぎ去っていく。波長が合うし、楽しいし、心地よいし、何よりも優しさの先にある幸せを感じる。わたしだけではなく彼も同じように感じてくれていたらいいな。そしたら同じ感覚で、同じ歩幅で時間を過ごすことができるから。

・おわりに
 わたしは彼の人生最後のエンドロールに名前が載るような人間になりたい。それも、エンドロールの最後。だから彼にとっての1番輝いている人になりたいし、隣にいて恥ずかしくない人間になりたい。過去や現在の持病持ちのわたしを受け入れてくれた彼のことが間違いなく大好きで、大切な存在です。彼の幸せを願いながらそっと隣にいられるような存在として生きていきたいと感じる。

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